大内貞太郎
大内 貞三郎(おおうち ていたろう、1857年(安政4年7月[1][2])- 1916年(大正5年)12月24日[1][2])は、明治期の公吏、教育者、政治家。衆議院議員、岩手県胆沢郡古城村長。
経歴
編集陸奥国胆沢郡関村[3](水沢県胆沢郡稲置村、磐井県胆沢郡稲置村、岩手県[1]伊沢郡古城村[2]、前沢町を経て現奥州市)で、仙台藩士・大内行雄の二男として生まれた[3][4][注釈 1]。仙台中教院で学んだ[1][2]。
松川村・門崎村戸長[1][2][3]、胆沢郡・江刺郡書記を務めた[1][2]。上京して遊学した[4]。西磐井郡・東磐井郡書記を務めた[1][2]。
1890年(明治23年)岩手県会議員に選出され、同常置委員も務めた[1][2][3][4]。同年7月、第1回衆議院議員総選挙(岩手県第4区、国民自由党)で落選したが[5]、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(岩手県第4区、中央交渉会)では当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。
東京英数漢学進学協会幹事となる[1][2]。故郷の自邸内に桃林塾を開き、郷土の多くの子弟の教育に尽くした[1][2][3]。1905年(明治38年)地元の要請を受けて古城村長に就任し、1期在任した[1][2][3]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『岩手県国会議員候補者列伝』72頁では長子。
出典
編集参考文献
編集- 菅原藤四郎 (寺峰居士) 編『岩手県国会議員候補者列伝 : 一名・撰挙便覧』三省書店、1890年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典3〉角川書店、1998年。