大倉治一
大倉 治一(おおくら じいち、1899年(明治32年)1月10日 - 1992年(平成4年)4月5日)は、日本の実業家。月桂冠株式会社元代表取締役会長[1]。12代目当主。
来歴
編集1899年(明治32年)1月、京都府京都市伏見区で大倉恒吉の長男として生まれる。1923年(大正12年)、東京商科大学(現・一橋大学)を卒業と同時に第一銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。その後、月桂冠株式会社の前身である大倉恒吉商店に入社し、大倉恒吉商店、共同酒造株式会社各常務、東京菱油商会、江田醸造研究所株式会社各監査を歴任後、1945年(昭和20年)に大倉酒造(現・月桂冠)株式会社代表取締役社長(のち会長)に就任した[2]。
人物
編集冷却装置などの導入により、酒造りの機械化を可能にしたことで、1年中酒造りができる「四季醸造」を可能にした[3]。
趣味は運動。宗教は浄土宗。
家族・親族
編集大倉恒吉商店株式会社社長[5]。
脚注
編集- ^ “大倉治一氏(月桂冠代表取締役会長)4月5日死去 - 日本食糧新聞電子版”. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “人事興信録. 第15版 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “朝日放送テレビ | 新・企業史博物館”. www.asahi.co.jp. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “「四コマ漫画 月桂冠 大倉恒吉物語」を公開 日本酒の未来を切り開いた男の挑戦と創造を漫画で紹介 |ニュース|月桂冠”. 月桂冠. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “大衆人事録. 近畿篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “大倉喜子さん(月桂冠・大倉治彦社長の祖母、大倉敬一会長の母)24日死去 - 日本食糧新聞電子版”. 2021年3月16日閲覧。
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