大井満雪
大井 満雪(おおい みつきよ)は、戦国時代の武将、江戸幕府旗本。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天文11年(1542年) |
死没 | 寛永4年6月4日(1627年7月16日) |
別名 | 小兵衛、河内守 |
戒名 | 一道、大翁 |
墓所 | 海蔵寺(東京都文京区) |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 小笠原氏流大井氏 |
父母 | 大井満実 |
兄弟 | 満雪、満直、角之丞、内記、彦蔵、小林重胤の妻 |
子 | 満美 |
概要
編集信濃国守護代の家柄である大井氏の傍流で祖父(あるいは伯父)の代から小諸城を守ったが、武田信玄の勢力伸長により天文23年(1554年)ころに父満実が開城して武田氏に臣従していた。満雪も信玄に仕え、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いに従軍して武功があった。また居地を小諸から上野箕輪城に移している。天正2年(1576年)父が遠江高天神城で死去。天正10年(1582年)武田氏が滅ぶと、北条氏の接近もあったが最終的には徳川氏に臣従する。慶長5年(1600年)会津征伐では徳川秀忠に従軍し、続く上田城の戦いにも従った。戦後は上野高崎城の城番を務めた。寛永4年(1627年)駿河国で没。子は無く養嗣子の満美が家督を継ぎ、一時徳川忠長に連座して浪人したが、再び取り立てられて200石の旗本として存続した。