多賀町 (茨城県)
日本の茨城県多賀郡にあった町
多賀町(たがちょう[1])は、茨城県多賀郡にかつて存在した町である。
たがちょう 多賀町 | |
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廃止日 | 1955年2月15日 |
廃止理由 |
編入 多賀町、日高村、久慈町、坂本村、東小沢村、中里村 → 日立市 |
現在の自治体 | 日立市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 多賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
40,437人 (1954年) |
隣接自治体 | 久慈町、坂本村、世矢村、河内村、日立市、常陸太田市 |
多賀町役場 | |
所在地 | 茨城県多賀郡多賀町 |
座標 | 北緯36度33分18秒 東経140度37分42秒 / 北緯36.55494度 東経140.62822度座標: 北緯36度33分18秒 東経140度37分42秒 / 北緯36.55494度 東経140.62822度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の日立市のうち、常陸多賀駅(旧名:下孫駅)周辺に相当する。1941年には坂上村(大甕駅周辺)を編入した。旧多賀郡の中では最南端に位置し、太平洋に面する河原子から大甕一帯の海岸は平野となっているものの、大部分は多賀山地の一部で山がちな地形となっているばかりか、河原子以北は海岸近くまで台地が迫り出し断崖絶壁となっている。
歴史
編集年表
編集- 1897年(明治30年)2月25日 - 日本鉄道磐城線(現在の常磐線)水戸 - 平(現・いわき)間が開通し、下孫駅(現・常陸多賀駅)が開業した。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 河原子町・鮎川村・国分村が合併し多賀町が発足。
- 1941年(昭和16年)2月11日 - 坂上村を編入。
- 1947年(昭和22年)9月1日 - 日立電鉄線大甕駅 - 鮎川駅間が開業。
- 1955年(昭和30年)2月15日 - 日高村・久慈郡久慈町・坂本村・東小沢村・中里村とともに日立市へ編入され、消滅。
行政区域変遷
編集- 変遷の年表
多賀町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧多賀町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足[2][3][4]。 |
1938年(明治13年) | 4月1日 | 河原子町・鮎川村・国分村が合併し多賀町が発足。 |
1941年(昭和16年) | 2月11日 | 坂上村は多賀町に編入。 |
1955年(昭和30年) | 2月15日 | 日高村・久慈郡久慈町・坂本村・東小沢村・中里村とともに日立市へ編入され、消滅。 |
- 変遷表
多賀町町域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
河原子村 | 河原子町 | 昭和14年4月1日 多賀町 |
昭和30年2月15日 日立市に編入 |
日立市 | 日立市 | ||
金沢村 | 国分村 | ||||||
大久保村 | |||||||
下孫村 | |||||||
諏訪村 | 鮎川村 | ||||||
油縄子村 | |||||||
成沢村 | |||||||
水木村 | 坂上村 | 昭和16年2月11日 多賀町に編入 | |||||
森山村 | |||||||
大沼村 |
大字
編集- 大久保(おおくぼ)
- 大沼(おおぬま)
- 金沢(かねさわ)
- 河原子(かわらご)
- 下孫(しもまご)
- 諏訪(すわ)
- 成沢(なるさわ)
- 水木(みずき)
- 森山(もりやま)
- 油縄子(ゆなご)
人口・世帯
編集※1946年以前は旧坂上村を含まず。
人口
編集総数 [単位: 人]
1939年(昭和14年) | 12,367 |
1950年(昭和25年) | 36,913 |
1954年(昭和29年) | 40,437 |
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世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1914年(大正14年) | 2,379 |
1950年(昭和25年) | 7,323 |
1954年(昭和29年) | 8,050 |
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交通
編集鉄道
編集道路
編集その他
編集茨城県の自治体では「町」を「まち」と読むのが標準的であるが、当町は例外的に「ちょう」と読んでいた。