桓武朝の延暦5年(786年)正六位上から従五位下に昇叙、さらに、同月信濃介に補任[1]。同8年(789年)、翌9年(790年)には、それぞれ桓武天皇の皇太后高野新笠や、皇后藤原乙牟漏の喪葬に際して、林浦海らとともに、陵墓造営の役夫に糧食などを支給する養民司を務めた。同10年、信濃介を平群清麻呂と交替し、(791年)、藤原大継の後任の宮内少輔となる[2]。以後の経歴は不明である。
『続日本紀』による。
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