外務省

日本と諸外国との外交関係を担当する省
外務省 (日本)から転送)

外務省(がいむしょう、英語: Ministry of Foreign Affairs、略称: MOFA)は、日本行政機関のひとつ[4]。日本の外交を所管する[注釈 1]

日本の旗 日本行政機関
外務省
がいむしょう
Ministry of Foreign Affairs
外務省庁舎
外務省庁舎
役職
大臣 岩屋毅
副大臣 辻清人
柘植芳文
大臣政務官 高村正大
深澤陽一
穂坂泰
事務次官 岡野正敬
組織
上部組織 内閣[1]
内部部局 大臣官房
総合外交政策局
アジア大洋州局
北米局
中南米局
欧州局
中東アフリカ局
経済局
国際協力局
国際法局
領事局
国際情報統括官
審議会等 外務人事審議会
海外交流審議会
施設等機関 外務省研修所
特別の機関 在外公館
概要
法人番号 9000012040001 ウィキデータを編集
所在地 100-8919
東京都千代田区霞が関2-2-1
北緯35度40分26.4秒 東経139度44分56.4秒 / 北緯35.674000度 東経139.749000度 / 35.674000; 139.749000座標: 北緯35度40分26.4秒 東経139度44分56.4秒 / 北緯35.674000度 東経139.749000度 / 35.674000; 139.749000
定員 6,667人[2]
年間予算 7257億1559万3千円[3](2024年度)
設置 1869年明治2年)8月15日(旧暦7月8日)
前身 外国官
ウェブサイト
www.mofa.go.jp ウィキデータを編集
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概説

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外務省設置法第3条に掲げられた目標を達成するため、外交政策、外交使節、通商航海、条約等の国際法規の締結、運用、外国政府との交渉、情報収集、分析、発信、在留邦人の保護および文化広報活動など国の対外関係事務全般を司る。

外務省の刊行物には、外務省発行の外交専門誌「外交[5]がある。

所掌事務

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外務省設置法第4条は、計29項目の所掌する事務を列記している。

主なものに以下がある。

  • 外交政策(外務省設置法第4条第1項第1号)
  • 外国政府との交渉(第2号)
  • 国際連合その他の国際機関等(第3号)
  • 条約締結(第4号)
  • 国際法規の解釈及び実施(第5号)
  • 渉外法律事項(第6号)
  • 国際情勢の情報収集及び分析並びに外国及び国際機関等に関する調査(第7号)
  • 日本国民の海外における法律上又は経済上の利益その他の利益の保護及び増進(第8号)
  • 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全(第9号)
  • 海外における邦人の身分関係事項(第10号、第11号)
  • 旅券(いわゆるパスポート)の発給並びに海外渡航及び海外移住(第12号)
  • 査証(いわゆるビザ)(第13号)
  • 本邦に在留する外国人の待遇(第14号)
  • 海外事情についての国内広報(第15号)
  • 日本事情についての海外広報(同号)
  • 外国における日本文化の紹介(第16号)
  • 外交文書の発受(第17号)
  • 外交官及び領事官の派遣(第18号)
  • 外交官及び領事官の接受並びに国際機関の要員の受入れ(第19号)
  • 勲章記章日本の栄典の国際的なあっせん(第20号)
  • 儀典その他の外交上の儀礼(第21号)
  • 外交史料の編さん(第22号)
  • 外地整理事務(第23号)
  • 政府開発援助(第24~26号)

海外滞在中の日本人犯罪行為により、その国家の刑務所収監されたり、死刑判決が下される場合、外務省(在外公館の職員)は、邦人保護の一環として面会などの対応をとる。

沿革

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日本が慶応2年(1866年)に初めて発給した18枚の旅券のうちの1枚(第3号)。発給元として「日本外國事務局」の記述がある。
 
旧黒田邸時代の外務省
 
1893年頃の外務省

外務省前史

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明治新政府が成立すると、現在の外務省の前身となる外交機構が設置され、幾度かの改組を経て明治2年7月8日に「外務省」という名の組織が設置されることとなった[6]

外国事務取調掛

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慶応3年12月9日に王政復古の大号令が発せられ、明治新政府が設立される[7]

慶応4年1月9日、征夷大将軍として大阪に出陣していた議定・仁和寺宮二品嘉彰親王が外国事務総裁の宣下を受け、議定・三条実美、参与・東久世通禧らが外国事務取調掛を拝命した[8]。これが、外交事務専管の官員任命の嚆矢である[9]

外国事務課

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慶応4年1月17日、布告第36号によって「三職分課」が公布され、外国事務課が設置された[10][11]。外国事務総督には山階二品晃親王のほか、三条や東久世らが任じられ、後藤象二郎岩下方平らが外国事務掛に任じられた[10]

外国事務局

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慶応4年2月3日、政府が官制の変更を行い、太政官代の中に7つの事務局を設置し、事務局の一つとして外国事務局が置かれた[12]。各事務局には、局務を統べる督が置かれ、その補佐をする輔、権輔、さらにその下に数名の判事が置かれた[12]。外国事務局の督には議定・山階二品晃親王(山階宮)が任じられ、輔には議定・伊達宗城(宇和島少将)、権輔には参与・東久世通禧(東久世全少将)、議定・鍋島直大(肥前侍従)が任じられた[12][13]

外国官

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慶応4年閏4月21日、政府は「政体書」を頒布し、政体書七官官制が定められた[14]。この官制の下では、政府は太政官と称され、この中に中央官庁として7つの官が置かれた[14]。その一つが外務省の直接の前身である外国官であり、その長は知官事と呼ばれた[14]。知官事の下には副知官事、判官事、権判、訳官、訳生が置かれ、知官事には伊達宗城、副知官事には東久世通禧が任じられた[14]

同年5月、議定仁和寺宮二品嘉彰親王が外国事務総裁の宣下を受けた際に大阪におり、その後も伊達宗城が大阪で外国事務を統べていたという理由で七官のうちで唯一大阪に設置されていた外国官を、京都の太政官内に移転することを伊達宗城が奏請した[15][16]。これが受け入れられ、6月3日に外国官は二条城の太政官代に移転する[15]。さらに、9月8日に慶応が明治に改元され、20日に車駕東幸が行われて、10月13日には天皇が東京城に入城して皇居と定めた[15]。これに伴って東京に五官出張所が設けられることとなり、各国公使が横浜に駐在しているという理由で外国事務は東京で取り扱うこととなった[15]。これにより、外国官は知官事を含めた全官員が東京に移ることとなった[15]

明治2年4月17日、外国官知事・伊達宗城は持病再発を理由に三条輔相に辞表を提出する[17]。この当時、英国公使パークスは英国副領事代理ロバートソン一行や英国軍艦オーシャン号艦長スタノップ一向に対する下車要求事件などを理由に日本政府に不信を表明し、警護のための軍隊の配置などを求めていた[17]。この時のパークスの強硬な態度に耐えかねたことが、伊達が辞表を提出した理由であった[17]。辞表は保留されたが、5月13日に行われた外国官知事の選挙で公選された際にも伊達が奉職の意思を示さなかったため、京都留守官勤務の参与・沢宣嘉が召喚され外国官知事任命の内意を示し、6月25日に伊達の辞表は受理された[18]。その後、6月26日に沢が正式に外国官知事に任じられた[18]

外務省

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1869年太政官の下に外務省が置かれる[19]

1871年(明治3年)に、外務省は銀座から霞が関に移転し、江戸時代に建築された大名屋敷福岡藩黒田邸上屋敷をそのまま使用していたが、1877年(明治10年)2月1日に焼失した。

1881年(明治14年)、英仏人建築家ボアンヴィルCharles Alfred Chastel de Boinville)の設計による新庁舎が竣工した。

1905年(明治38年)ポーツマス条約の締結(小村壽太郎)により日露戦争に勝利、以後の不平等条約の完全撤廃に繋がった。

1909年(明治42年)、日本電報通信社(現在の電通)に秘密補助金を出して、同省肝いりの在中国日系新聞記者に送電・配信させる構想を練る[20]

1914年(大正3年)設立の国際通信社が出した赤字を補填。

1939年(昭和14年)ニューヨーク総領事館が『米国共産党調書』を発行し、ソ連コミンテルンアメリカ共産党による日米分断策動への注意喚起を促した[21][22][23]。その翌年、松岡洋右外務大臣に『米国内ノ反日援支運動』を提出[24]

1941年(昭和16年)ハル・ノート(原案作成はハリー・ホワイト[25][26])の提示により日米交渉打ち切り。12月に太平洋戦争開戦。

1982年(昭和57年)レフチェンコ事件発生。この事件は外務省を震撼させ、後のスパイ防止法案の審議や特定秘密保護法の制定に大きな影響を与えた。さらに、事件はソ連崩壊後に公開されたミトロヒン文書でも裏付けられている。

1993年(平成5年)に、総合外交政策局と国際情報局が新設された。

1994年 (平成6年) に、日本政府及び外務省は「サービスの貿易に関する一般協定(GATS)」に署名し、1995年に発効した。この協定により、外国人による日本国内の土地取得に関して、他の加盟国と同様の待遇を提供する義務が生じ、その結果、外国人や外国法人が日本国内の土地を自由に取得できる状況が続いている。

2001年(平成13年)4月小泉純一郎内閣総理大臣に就任し第1次小泉内閣が発足したとき、田中眞紀子議員(田中角栄元総理の長女)が外相に就任した。女性初の外相。田中外相は人事凍結方針を打ち出し、外務官僚がそれに反発、外務省は機密費流用問題公金流用疑惑、裏金などの不祥事が続出し、田中外相は外務省を『伏魔殿』と呼び、外務省改革を唱えた。

以降、ことあるごとに田中外相と外務官僚の対立が続くようになった。田中外相は外務事務次官の任免を繰り返し、外務省改革を断行しようとするが、2001年(平成13年)9月11日発生のアメリカ同時多発テロ事件以降、外交政策官邸主導になり、肝心の外相は1人取り残されるようになった。

その後、アフガニスタン紛争復興支援に関して、NGOを復興会議から排除した問題が浮上。NGO排除に鈴木宗男議員の大きな影響があったと大西健丞NGO「ピースウィンズ・ジャパン」代表が発言、小泉首相も鈴木議員の圧力を認めたが、野上義二外務事務次官はそれを否定。田中外相、鈴木議員、外務省の3者をめぐって全面的な争いが起こった。2002年(平成14年)1月小泉純一郎は田中外相と野上事務次官を更迭した。

その後、外務省への過度な圧力などを指摘され、2002年(平成14年)3月11日に、鈴木宗男議員が証人喚問を受けることになった[27]

川口順子大臣時代の2004年(平成16年)8月1日に、儀典長(次官級)が大臣官房儀典長(局長級)に格下げ、領事移住部を領事局に格上げし、国際情報局が統括官組織に改組(国際情報統括官組織)され、条約局が国際法局に改編された。

2006年(平成18年)8月1日に、部局の統廃合が行われた。この統廃合では、躍進著しいインド東南アジア諸国連合などとの関係強化を図るため、アジア大洋州局内に「南部アジア部」が新設された。一方、局単位の改編として、経済協力局及び大臣官房国際社会協力部(ODA関係部局)を統合して「国際協力局」を新設した。よって全体の局部数に変更はない。

2011年(平成9年)、外務省から国会図書館に出向した職員が日本共産党を含む国会議員の図書館利用状況を本省に報告するというスパイ行為を行った疑惑について、日本共産党の市田忠義書記局長(当時)は外務省に対して資料提出を求め、関係者の証人喚問を衆院議院運営委員会に要求すると記者会見で述べた[28][29][30]。外務省外交文書の公開により、2011年(平成23年)2月に発覚した[要出典]

2012年(平成24年)1月18日に、野田第1次改造内閣野田佳彦総理)の玄葉光一郎外相時に大臣の定例記者会見に初めて英語同時通訳を導入した。大臣発言と日本人外国人記者の質問は日本語と英語に相互に訳され、会見では貸出されるイヤホンを介して聴取することが出来る[31]

2017年(平成29年)3月、文部科学省天下り問題で、外務省職員が違法な天下り斡旋により国立大学法人東京外国語大学特任教授に就任していたことが判明した。

2018年(平成30年)7月1日に、部局の統廃合が行われた[注釈 2]。この統廃合ではアジア大洋州局北東アジア課を二課に分け、北東アジア第一課及び北東アジア第二課を設置した。両課の設置に伴い、北東アジア第一課が韓国情勢、日韓協力等,北東アジア第二課が北朝鮮情勢、日朝関係等を所掌する。また、アジア大洋州地域に関する外交政策の総合的な企画立案及び調整の必要性が特に高い事情にかんがみ、アジア大洋州局地域政策課を地域政策参事官(組織令上は大臣官房の参事官)に改組した[32]

2020年(令和2年)8月3日に、部局の統廃合が行われた[注釈 3]。WTO協定、経済連携協定、投資協定等の紛争解決規定に基づく紛争解決の処理への対応を強化するため、国際法局に経済紛争処理課を設置、経済局経済安全保障課を廃止し、経済局政策課にエネルギー、鉱物資源、食料の安定供給の確保に関する事務を所掌する資源安全保障室を新設、総合外交政策局安全保障政策課新安全保障課題政策室の室名を経済安全保障政策室に変更する(所掌事務は変更なし)[33]

2022年6月、自民党の広報本部長(当時)河野太郎がtwitter上で外務省においてFAXが廃止されていることを明らかにした[34]

名称とシンボル

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名称

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1869明治2)年に設置され、改称せずに現存する日本最古の行政機関である[注釈 4]

最初に「外務省」の名称が用いられたのは、1869年(明治2年)8月15日から始まった太政官制(二官六省制)からである。名称が公議所で議論された際、原案は「外国省」となっていたが、公議員であった依田学海が「雅ならず」として「太宰府」「外務省」「治部省」のいずれかにすべきと提案したという経緯がある[36]

1885年(明治18年)の内閣制度創設以後、一度も名称を変更していない唯一のである[注釈 5]。太政官達(内閣職権)、外務省官制、旧外務省設置法など、設置根拠法に変遷はあるが、省の名称は継続して用いられている。

シンボル

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外務省の標章。「外」の文字を変形させた図案が用いられている。

外務省のシンボルは、漢字の「外」の文字を変形させた図案が用いられている[37]。それまでは歴代大臣が使用していた箱の蓋に描かれていた図案であったが、1937年(昭和12年)に職員徽章の図案として正式に制定された。材質は純銀[37]。それ以来、省の標章として使用されており、庁舎の正門に掲げられるとともに、職員の身分証明書などにも描かれている[37]

組織

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外務省の内部組織は一般的に、法律の外務省設置法、政令の外務省組織令および省令の外務省組織規則が階層的に規定している。外務大臣を長とし、内部部局として大臣官房および総合外交政策局等の10局、審議会として外務人事審議会および海外交流審議会、施設等機関として外務省研修所、特別の機関として在外公館を設置する。

次官級以上のポスト

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内部部局

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  • 大臣官房(政令第2条)
    • 総務課(政令第18条)[注釈 6]
    • 人事課
    • 情報通信課
    • 会計課
    • 在外公館課
    • 儀典
    • 外務報道官・広報文化組織
      • 広報文化外交戦略課
      • 報道課
      • 文化交流・海外広報課
      • 国際報道官
  • 総合外交政策局
    • 総務課(政令第30条)
    • 安全保障政策課
      • 経済安全保障政策室(規則12条8項)
    • 安全保障協力課
    • 国連企画調整課
    • 国連政策課
    • 人権人道課
    • 軍縮不拡散・科学部
      • 軍備管理軍縮課(政令第30条第2項)
      • 不拡散・科学原子力課
  • アジア大洋州局
    • 北東アジア第一課(政令第38条)
    • 北東アジア第二課
    • 中国・モンゴル第一課
    • 中国・モンゴル第二課
    • 大洋州課
    • 南部アジア部
      • 南東アジア第一課(政令第38条第2項)
      • 南東アジア第二課
      • 南西アジア課
  • 北米局
  • 中南米局
    • 中米カリブ課(政令第50条)
    • 南米課
  • 欧州局
    • 政策課(政令第53条)
    • 西欧課
    • 中・東欧課
    • ロシア課
  • 中東アフリカ局
    • 中東第一課(政令第58条)
    • 中東第二課
    • アフリカ部
      • アフリカ第一課
      • アフリカ第二課
  • 経済局
    • 政策課(政令第63条)
      • 資源安全保障室(規則34条4項)
    • 国際経済課
    • 国際貿易課
    • 経済連携課
  • 国際協力局
    • 政策課(政令第69条)
    • 開発協力総括課
    • 緊急・人道支援課
    • 国別開発協力第一課
    • 国別開発協力第二課
    • 国別開発協力第三課
    • 地球規模課題審議官組織
      • 地球規模課題総括課
      • 地球環境課
      • 気候変動課
  • 国際法局
    • 国際法課(政令第79条)
      • 海洋法室(規則43条1項)
      • 国際裁判対策室
    • 条約課
    • 経済条約課
    • 経済紛争処理課
    • 社会条約官
  • 領事局
    • 政策課(政令第84条)
    • 海外邦人安全課
    • 旅券課
    • 外国人課
  • 国際情報統括官組織
    • 国際情報統括官
    • 国際情報官(4人、政令第89条)

現在の幹部

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一般職の幹部は以下のとおりである[38]

審議会等

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施設等機関

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特別の機関

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特別の機関として在外公館を設置する(法律第6条)。在外公館は大使館、公使館、総領事館、領事館政府代表部および日本政府在外事務所の5種類がある(法律第6条第2項・第3項)。実在する在外公館の名称および位置は「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律」に規定されている。一覧は日本国在外公館の一覧を参照。

所管法人

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外務省が主管する独立行政法人は、2024年4月1日現在、国際協力機構国際交流基金の2法人[39]

特殊法人[40]及び特別の法律により設立される民間法人(特別民間法人)[41]はない。

財政

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2024年度(令和6年度)一般会計当初予算における外務省所管予算は7257億1559万3千円[3]。組織別の内訳は外務本省が5389億8929万1千円、在外公館が1867億2630万2千円である。

外務省は、特別会計として、国会、裁判所、会計検査院、内閣、内閣府、デジタル庁、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省及び防衛省所管[注釈 7]東日本大震災復興特別会計を共管する。

職員

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一般職の在職者数は2023年7月1日現在、外務省全体で6,364人(男性 4,168人、女性2,196人)である[42]。行政機関職員定員令に定められた外務省の定員は特別職175人を含めて6,667人[2]。外務省は外局を有しないため、他省のように省令の定員に関する規則はない。2024年度一般会計予算における予算定員は特別職182人、一般職6,392人の計6,874人である[3]。特別職のうち、大使が168人、公使が4人となっている。機関別内訳は本省が2,956人、在外公館が3,718人となっている。

外務省の一般職職員の給与に関する法制は、基本的に国家公務員法と一般職給与法から成るが、在外公館に勤務する職員(以下、在外職員)には、特別法として在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律(外務公務員給与法)も適用される。

外務省の一般職の職員は非現業の国家公務員なので、労働基本権のうち争議権と団体協約締結権は国家公務員法により認められていない。団結権は認められており、職員は労働組合として国家公務員法の規定する「職員団体」を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる(国家公務員法第108条の2第3項)。

2023年3月31日現在、人事院に登録された職員団体は存在しない[43]。2001年度はおよそ3割の組織率があったが、翌年度に0%となり、現在にいたる[44]。過去にあった労組は外務省職員組合で、連合・全労連いずれにも属さない中立系の組合であった。

常勤職員の採用試験には、国家公務員採用総合職試験および一般職大卒程度試験(技術系)、一般職高卒試験のほか、独自の専門職試験として外務省専門職員採用試験が設けられている(人事院規則8―18第3条)。また、任期付職員として専門調査員、在外公館派遣員(財団法人 国際交流サービス協会が派遣するもの)、現地採用職員などがある。

かつては、旧国家公務員採用I種試験に相当した外務省独自のキャリア採用試験である外務公務員採用I種試験(通称「外交官試験」)があったが、2001年(平成12年)度試験を最後に廃止された。以降は、国家公務員採用I種試験(2011年度の採用試験体系の見直し後は、国家公務員採用総合職試験)の合格者からキャリア職員を採用している。

省内の派閥関係としては、語学研修部門別の「アメリカ・スクール」、「チャイナ・スクール」、「ロシア・スクール」などがあるが、出身学校別としては、総合職職員は東大専門職職員は東京外大出身者、加えて創価学会員や創価大出身者による派閥「大凰会(凰会)」[45]などが知られている。その他、元駐韓大使の金山政英 (en) は、日韓トンネル研究会副会長、日韓文化交流協会会長、世界平和教授アカデミー参与と、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)がいずれも設立を主導した機関で役職員を務めた。

出身大学

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以下は、朝日新聞出版が出版する『大学ランキング』各年度を基に作成。

総合職(2008年から2017年までの合格者)[46] 東京大学148名、京都大学31名、慶應義塾大学30名、早稲田大学16名、一橋大学14名、大阪大学3名、東京外国語大学2名、東北大学2名、中央大学2名、神戸大学1名、筑波大学1名、国際基督教大学1名、明治大学1名
外務省総合職
年度 1位 2位 3位 4位
2015年[47] 東京大学 15名 一橋大学 4名 慶應義塾大学、京都大学 各3名 早稲田大学 1名
2016年[48] 東京大学 13名 慶應義塾大学 4名 京都大学、早稲田大学 各3名 神戸大学、一橋大学 各1名
2017年[46] 東京大学 19名 慶應義塾大学 5名 京都大学2名 国際基督教大学、早稲田大学 各1名
2018年[49] 東京大学 15名 慶應義塾大学 6名 大阪大学、京都大学、一橋大学、立命館大学、早稲田大学 各1名 -
2019年[50] 東京大学 22名 慶應義塾大学 5名 一橋大学 2名 早稲田大学1名
2020年[51] 東京大学 19名 京都大学 5名 慶應義塾大学 4名 大阪大学、一橋大学、北海道大学、早稲田大学 各1名
外務省専門職員(2008年から2017年までの合格者)[46] 東京外国語大学71名、大阪大学52名、早稲田大学44名、慶應義塾大学31名、上智大学22名等
外務省専門職員
  年度   1位 2位 3位 4位
2015年[47] 大阪大学、早稲田大学 各7名 - 東京外国語大学 6名 上智大学 4名
2016年[48] 大阪大学 8名 東京外国語大学 7名 上智大学 6名 神戸大学、早稲田大学 各4名
2017年[46] 東京外国語大学 10名 慶應義塾大学 6名 早稲田大学 5名 大阪大学、上智大学同志社大学 各3名
2018年[52] 東京外国語大学 17名 慶應義塾大学、早稲田大学 各5名 - 東京大学、青山学院大学創価大学、同志社大学、立命館大学 各2名
2019年[50] 東京外国語大学 8名 大阪大学 7名 早稲田大学 5名 上智大学 4名

庁舎

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外務省庁舎

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外務省庁舎は千代田区霞が関2丁目2番1号本館に所在する。小坂秀雄設計。「本館(中央・南庁舎)」、「本館(北庁舎)」および「新庁舎」の3つの建物から構成され、それらは口型に配置されている[53]

中央・南庁舎は地上8階、地下1階のL字型の建物であり、内部は中央庁舎と南庁舎に分かれている。1970年(昭和45年)に完成した。北庁舎は地上8階、地下1階で1960年(昭和35年)完成。

新庁舎は南庁舎と北庁舎の間、中央庁舎の向かい側に位置し、地上7階、地下3階である。北庁舎から中央庁舎への連絡は2階-1階、5階-4階、および8階-7階である。

南庁舎から中央庁舎への連絡は2階-1階及び8階-7階である。1995年(平成7年)に完成した。

以前は南庁舎には旧科学技術庁および公正取引委員会が入居していたが、中央省庁再編に伴い移転した。

本庁舎の耐震工事のため、2002年(平成14年)初頭から2003年(平成15年)末まで一時的に仮庁舎が開設され、港区芝公園の住友不動産芝公園タワーに移転した。

旅券課など、一部の部署は港区芝大門の住友芝大門ビルに分散入居していた。南庁舎2階には、24時間営業のコンビニエンスストアローソン2013年2月13日現在)がある。霞が関に立地する最初の官庁である。終戦後は日産館などに入居していた。

飯倉別館

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飯倉公館ともいう。首脳会談や外相会談のほか、各種会議やレセプションなどの交流活動にも利用されている。

1971年(昭和46年)に完成。吉田五十八設計。所在地は東京都港区麻布台1丁目5番3号だが、名称に冠した「飯倉」はこの地の歴史的名称「飯倉町」に由来する。

また江戸時代幕末期の開国以来の外交資料を保管し展示する外交史料館を併設している。近傍には旧事務次官公邸だった麻布台別館もある。

外務省出身の著名人

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原則、政治家は除く。例外として民間登用大臣など。

関連紛争や諸問題

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脚注

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注釈

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  1. ^ 平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ること」(外務省設置法第3条)
  2. ^ 外務省組織令の一部を改正する政令(平成30年政令第193号)による改正。
  3. ^ 外務省組織令の一部を改正する政令(令和2年政令第232号)、外務省組織規則の一部を改正する省令令(令和2年外務省令第10号)による改正。
  4. ^ 財務省の前身(改編改称前)の大蔵省も外務省と同時期の1869年に設置された[35]
  5. ^ もう一つの“改称せずに今まで来た”省だった大蔵省は2001年(平成13年)に「財務省」と改称された[要出典]
  6. ^ 総務課には外交史料の編さんを行う外務省外交史料館(東京都港区)が置かれている。
  7. ^ 国の予算を所管するすべての機関である。なお人事院は予算所管では内閣に属するのでここにはない。
  8. ^ たとえば、南満洲鉄道満洲の地で、戦略物資として欠くべからず鉄鉱石から電気電力、車や航空機までの工業製品に加え、大豆や小麦の生産力向上を図っていた。特に大豆は、1920年代半ば(昭和初頭)から世界的に需要が激増し、満鉄により品種改良や新種開発を重ねた「満洲大豆」を抱える満洲国は、大豆の穀倉地帯として世界最大の輸出国になり、飛躍的に経済規模が拡大していた。しかし、のちのABCD包囲網にみるように、米国に頼っていた小麦や大豆生産に必須の化学肥料リンリン酸)などを石油などと共に禁輸対象にされた。第二次世界大戦後、米国が大豆の世界最大の輸出国になった(満洲国の経済満洲産業開発五カ年計画#同計画の具体的内容ダイズ#生産を参照)。
  9. ^ 法眼晋作元外務次官の長男で、弟に法眼健作元国連事務次長がいる。日比谷高校時代の同級生で外務省入省後輩にあたる加藤紘一らが言うには「ソ連担当だった法眼俊作はハニートラップに引っ掛かりスイスで自殺した」とのこと[54]
  10. ^ なお当時の駐在大使は、福岡大学体育学部から青年海外協力隊員を経て外務省に入省した冨永純正だった。
  11. ^ 霞ヶ関」の薬物事件は、2018年11月に起きた外務省の同件、2019年5月8日の経済産業省経済産業省#不祥事など参照)、同年5月28日の文部科学省文部科学省#不祥事や疑惑など参照)と3例続いた[58]
  12. ^ 1999年・2001年・2004年に、事務官職員による痴漢や盗撮等の事件があった[59]

出典

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  1. ^ 我が国の統治機構 内閣官房 2022年3月22日閲覧。
  2. ^ a b 行政機関職員定員令(昭和44年5月16日政令第121号)(最終改正、令和6年7月31日政令第254号) - e-Gov法令検索
  3. ^ a b c 令和6年度一般会計予算 (PDF) 財務省
  4. ^ 外務省の意味 goo辞書 2021年3月27日閲覧。
  5. ^ 外交専門誌「外交」 外務省
  6. ^ 外務省百年史編纂委員会編 1969a, p. 3.
  7. ^ 外務省百年史編纂委員会編 1969a, p. 4.
  8. ^ 外務省百年史編纂委員会編 1969a, p. 5.
  9. ^ 外務省百年史編纂委員会編 1969a, p. 6.
  10. ^ a b 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 8–11.
  11. ^ 大蔵省財政金融研究所財政史室編 1998, pp. 7–8.
  12. ^ a b c 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 11–19.
  13. ^ 島 2007, p. 27.
  14. ^ a b c d 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 22–23.
  15. ^ a b c d e 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 25–27.
  16. ^ 外務省百年史編纂委員会編 1969a, p. 11.
  17. ^ a b c 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 27–29.
  18. ^ a b 外務省百年史編纂委員会編 1969a, pp. 28–39.
  19. ^ 牧原 2008, p. 80.
  20. ^ アジア歴史資料センター B03040681700
  21. ^ 米国共産党調書 検索結果一覧 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  22. ^ 日米対立でアジア共産化、外務省の情報生かされず - 産経ニュース
  23. ^ 日本版「ヴェノナ文書」が明らかにした戦前の日本外務省のインテリジェンス能力
  24. ^ 江崎道朗『日本の外務省はソ連の対米工作を知っていた』P68~71、育鵬社、2020年
  25. ^ 対日最後通牒ハル・ノートの原案を作成した元米国財務次官補 日本戦略研究フォーラム(JFSS)
  26. ^ 真珠湾攻撃77年目の真実 ルーズベルトは知っていた!? ~日米ソの壮絶”スパイ戦争 ザ・スクープスペシャル 終戦企画 2018年8月12日(日)午後1時55分~3時20分放送(一部地域を除く) テレビ朝日 ザ・スクープ
  27. ^ 第154回国会 予算委員会 第22号 2002年(平成14年)3月11日
  28. ^ 議員の依頼資料を極秘報告 国立図書館出向の外務官僚共同通信、2011年2月19日。
  29. ^ 国会図書館スパイ問題 真相の徹底糾明を 市田書記局長 証人喚問を要求 しんぶん赤旗 2011年2月22日
  30. ^ 国会図書館への出向者 20年余で7人送る 外務省 幹部職員切れ目なく しんぶん赤旗 2011年2月22日
  31. ^ 読売新聞2012年1月19日13S版4面、外相の定例記者会見に英語同時通訳
  32. ^ 外務省HP >会見・発表・広報 > 報道発表 > アジア大洋州局の組織改編
  33. ^ 報道発表 > 経済局、国際法局及び総合外交政策局の組織改編等”. 外務省 (2020年7月31日). 2024年8月11日閲覧。
  34. ^ 外務省、“ほぼ”FAX廃止→原則メールに 企業では意外と現役?”. ITmedia ビジネスオンライン. 2022年6月23日閲覧。
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  36. ^ 鈴木淳『維新の構想と展開』(講談社、2002年)54頁
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    「小説 東大法学部」 大下英治 角川文庫 1989年
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    “日本の対中ODA終了 協力縮小でパイプ細る懸念”. 神戸新聞. (2022年3月31日). https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/primenews/202203/sp/0015180113.shtml 
    高田正幸 (2022年3月31日). “対中ODAが今月末で終了 「日本の支援、中国で知られず」批判も”. 朝日新聞. オリジナルの2022年3月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220331075846/https://www.asahi.com/articles/ASQ3Y6X5YQ3YUHBI028.html 
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  58. ^ 外務省課長補佐を逮捕 歌舞伎町で覚醒剤所持疑い”. 産経新聞 (2018年11月26日). 2020年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月15日閲覧。
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参考文献

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書籍

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定期刊行物

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学術論文

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関連項目

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その他関連団体

外部リンク

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