塚原 まきこ(つかはら まきこ、1968年(昭和43年)7月18日 - )は、熊本県ラジオMCをメインとして活動しているローカルタレント熊本県熊本市出身。九州女学院短期大学児童教育学科卒業。オフィス・サッキー所属。本名は塚原 真喜子(読み同じ)。

つかはら まきこ
塚原 まきこ
本名 塚原 真喜子
(読み同じ)
別名義 まこ、まこりーぬ(マンガ研究室)
生年月日 (1968-07-18) 1968年7月18日(56歳)
出生地 日本の旗 日本熊本県熊本市
身長 164cm
血液型 A型
職業 ローカルタレント
活動期間 1985年頃 -
配偶者 既婚(2018年結婚)
事務所 オフィス・サッキー
公式サイト 塚原まきこ Official Twitter (日本語)
テンプレートを表示

略歴

編集

女子高生バンドドラマーとして活動していた[1]高校1年生の時(九州女学院在学中)にアマチュアバンドを紹介するRKKラジオ(熊本放送)の番組に出演しラジオ初出演[2]。そしてこの高校生の頃にスカウトされ[3]スパー熊本県地区スパー本部)のCMキャラクターとしてデビュー。このCM起用が切っ掛けとなり、TKU(テレビ熊本)の番組でマスコットガールとして起用され、のちに同局の「若っ人ランド」のアシスタントを担当することとなる[5][1]

その後九州女学院短期大学児童教育学科へ進学するが、教員採用試験は受けず、大学卒業後もフリーのタレント活動を続ける[1]。この時期、テレビ熊本が開局20周年企画として熊本県内98市町村(当時[6])を回るキャラバン隊のキャンペーンガールを募集しており、それに応募、キャラバン隊の一員として県内一円を回ることととなる[8]

ただ、当時タレント業を一生の生業とする意識は全くなかったという[1]

しかし、タレント活動を続けているうちに、いつしか制作会社(事務所)に所属することになり、ラジオパーソナリティ希望だったことからラジオディレクターに願い出たところ15分番組のアシスタント出演が決まり、これを皮切りにラジオの仕事を始めることとなる[2]。このようにしてタレントとして多忙な日々を送ることとなる塚原だが、レギュラー番組が一段落した1996年[9]、ふと「外に出てみたい」という衝動に駆られ、半年間フランスカンヌへと留学する[10][11]

1997年[12]、東京へと活動拠点を移す[13]

その後2002年3月頃まで東京を拠点に活動する。この時期には木村拓哉の出演したウイダーinゼリーのCMに出演していたこともある[1][12]

その後、父が亡くなり、母の介護が必要になった等の事情により熊本に帰郷[2]、2002年4月より再び活動拠点を熊本に戻す[12]。その後は2009年開始の「塚原まきこの福ミミらじお」に代表されるSNSを活用したラジオ番組の展開等の取り組みでも知られている。

人物・エピソード

編集

現在出演の番組等

編集
ラジオ
テレビCM
ラジオCM

過去出演の番組等

編集
テレビ
ラジオ
テレビCM
ラジオCM
ナレーション
  • マイクロソフト・エクセル2000虎の巻
  • ソニープレイステーション プレプレ
ビデオ
  • グアム・天使教会
その他
  • 小田急シネマステーション MC
  • 姿月あさとインストアライブ、ファンクラブティーパーティー
  • 宝塚「大海賊・ジャズマニア」MC

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i 山内陽子 (2018年10月26日). “塚原まきこさん/しごとの履歴書”. WHITE BASE. モンスター. 2020年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d ラジオライフ三才ブックス)2021年4月号「塚原まきこ DJ interview」より
  3. ^ 彼女曰く、「まさに食事中に、ふたり組の男女広告代理店営業マンスタイリストに声をかけられた」という[1]
  4. ^ 2020年7月31日(金)「塚原まきこの福ミミらじお」(1h14m08s〜) - YouTube
  5. ^ a b 彼女曰く[4]江越哲也がMCをつとめていた頃だという
  6. ^ 平成の大合併」等を経て、2020年現在では45市町村となっている
  7. ^ 2020年7月30日(木)「塚原まきこの福ミミらじお」(1h25m10s〜) - YouTube
  8. ^ 塚原は2020年7月30日放送の「福ミミらじお」おまけ配信において、リスナーの投稿がきっかけでこの話題について言及している[7]
  9. ^ ジェニファーに会いたい!!”. 福ミミらじお. 熊本放送 (2017年10月19日). 2020年8月19日閲覧。
  10. ^ 「熊本を離れて暮らすのが初めての経験でした」とのこと[1]
  11. ^ a b 若き日”. 福ミミらじお. 熊本放送 (2020年8月4日). 2020年8月6日閲覧。
  12. ^ a b c d オフィスサッキーでの塚原のプロフィールより
  13. ^ 帰国後勢いのまま荷物をまとめ、「泣いている両親を振り切って」単身東京へと向かったらしい[1]
  14. ^ カローラⅡにのって”. 福ミミらじお. 熊本放送 (2017年10月21日). 2020年8月19日閲覧。
  15. ^ 久島健一 (2011年9月22日). “号外!塚原まきこ、フルマラソン挑戦!!”. RKKラジオ局ブログ. 2020年6月7日閲覧。
  16. ^ 当初は4キロコースを走るつもりだったが、締め切りを逃しフルマラソンへエントリーした[15]という。
  17. ^ 3度目の挑戦!”. 福ミミらじお. 熊本放送 (2017年7月29日). 2020年9月21日閲覧。
  18. ^ 3度目の挑戦での合格であった[17]
  19. ^ 平野裕子 (2021年6月21日). “けん玉検定!”. 福ミミらじお. 熊本放送. 2021年6月22日閲覧。
  20. ^ けん玉に関しては、「けん玉検定」も取得しているとのこと。
  21. ^ @makikocafe (2021年12月31日). "第72回紅白歌合戦。". X(旧Twitter)より2021年12月31日閲覧
  22. ^ 中央しんきんムービー - 熊本中央信用金庫について”. 熊本中央信用金庫. 2023年4月2日閲覧。
  23. ^ 2020年7月27日(月)「塚原まきこの福ミミらじお」(1h25m00s〜) - YouTube
  24. ^ 間に7年ほどブランクを挟む。曜日別アシスタントの一人であるが、担当曜日の関係上初回放送と最終回何れも担当している(本人談[23])。
  25. ^ Photo gallery 2001年10月8日”. Club Sunday Street. 熊本放送. 2003年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月1日閲覧。
  26. ^ 久島健一 (2011年11月10日). “もうこれ何年前の写真だろう?”. RKKラジオ局ブログ. 2020年8月1日閲覧。
  27. ^ 最初の半年のみ塚原が東京在住だった為、毎週飛行機で帰熊、番組終了後そのまま番組ディレクターの久島健一が車で熊本空港迄送っていた[26]という。

関連項目

編集

外部リンク

編集