久島健一

ラジオディレクター

久島 健一(くじま けんいち、1969年〈昭和44年〉9月25日[1] - )は、熊本放送(RKK)の社員で、同局の元ラジオディレクター

くじま けんいち

久島 健一
生誕 (1969-09-25) 1969年9月25日(55歳)
日本の旗 日本熊本県鹿本郡植木町
(現:熊本市北区
別名 Coozy
くーじー
出身校 熊本商科大学
(現:熊本学園大学
職業 営業職
ラジオパーソナリティ
コラムニスト
ラジオディレクター
ラジオ番組プロデューサー
活動期間 1998年 - 2009年、2017年頃 - 2020年(ラジオディレクターとして)
2000年 - 2009年・2020年・2021年 -(ラジオパーソナリティとして。2021年以降は地上波ではなくポッドキャスト限定)
雇用者 熊本放送
身長 174 cm (5 ft 9 in)
配偶者
テンプレートを表示
coozy

くーじー
本名 久島 健一
生年月日 (1969-09-25) 1969年9月25日(55歳)
出身地 日本の旗 日本熊本県鹿本郡植木町
(現:熊本市北区
身長 174cm
血液型 O
職業 ラジオディレクター
ラジオ番組プロデューサー
ラジオパーソナリティ
活動期間 1998年 - 2009年・2018年頃 - 2020年・2021年 - (ラジオディレクターとして)
2000年 - 2009年・2021年 - (ラジオパーソナリティとして)
配偶者 有(既婚)
テンプレートを表示

熊本県鹿本郡植木町(現熊本市北区)出身。

以前は同局にてくーじー←Coozy)名義でラジオパーソナリティを長年つとめていた時期もあり、2021年から再び同名義でSpotify Podcast・Google Podcast・ApplePodcast・Amazon Podcast・VoicyにてRKKラジオ番組「Radio マンガ研究室」編集・出演・配信を2024年の現在も報道制作局デジタルメディア部部長として担当している。

略歴

編集

熊本商科大学(現:熊本学園大学)を卒業後の1992年、熊本放送に入社。

入社時はラジオ営業部の営業職で、24歳の若さで東京支社テレビ営業部配属と東京転勤になるが、28歳だった1998年に念願の制作部門(ラジオ制作部[3])に異動し帰熊[4]、ラジオディレクター[5]となり[6]、先述の通り「くーじー(Coozy)」等の名義でラジオパーソナリティとしても活動していた。

いち早くインターネットを活用した番組も数多く手掛け、20年先を見通していた人物でもある。

地元新聞社熊本日日新聞が発行する「PEAP(女性向け冊子)」に6年の連載有り。また、熊本市の繁華街である上通の「上通STYLE」にもコラムを持っていた。そのほか、LOHAS思想を取り入れたRKKラジオのHERBプロジェクトで環境問題を取り上げ、RKKラジオのラジオカー「ミミー号」及びミミーキャスターのマスコットキャラクターを作成した[7]のも彼である(デザインは、むらいけんたろう)。

ラジオ番組「Club Sunday Street」では、番組DJのhugh熊本竜太 現TKUテレビ熊本報道記者兼アナウンサー)、内包番組を担当していた同局の社外ディレクター増子和由の3人で「hmc[8]」というユニットを組みCDを2枚発表している[9]後述)。

その後の2009年4月、ラジオ編成制作部内の制作部門から編成部へ異動、編成部門時代の2011年7月-2012年3月にかけて、ラジオ局の公式ブログFacebook執筆していたことがある[11]。その後異動となる。

2018年、再独立したラジオ制作部に復帰し「とんでるワイド 大田黒浩一のきょうも元気!」等を担当、同部次長を最後に異動となる。

2020年度はビジネス開発局メディア推進部で活躍、「コロナ禍」の同年熊日広告賞優秀賞を受賞。同局16年ぶりの受賞であり、その16年前の受賞も、久島健一氏の作品「AMへ、かえろう。」であった。また、翌年も2年連続で熊日広告賞を受賞している。

2021年4月の人事異動で、新しい部署 報道制作局デジタルメディア部へ異動(同部長代理)。TBS系列がスタートさせたデジタルニュースサイト「TBS NEWS DIG」の立ち上げに関わりながら、ニュースをTikTokにUPするなど新しい試みにも相変わらず積極的で、ラジオを離れたとはいえ、RKKラジオの「Radioマンガ研究室」の編集、各Podcastへの配信、また時折、本人自身番組出演もしている。

人物

編集

先述の通り24歳で東京支社に転勤になる迄の間、幼い頃に2年程大分県で暮らした以外は熊本を離れたことがなかった[12]という。

学生時代は大学まで野球部(投手)に所属していた[13][14][15]。中学時代は、野球の他にも、陸上(100m)、柔道と様々な運動部に借り出され、また、放送部の初代部長も務めていた。飲酒・喫煙(20代まではヘビースモーカー)は、一切しない。趣味は読書(純文学系)と音楽(小沢健二の大ファン)鑑賞。

久島健一の息子も野球経験者(投手以外全てこなすユーティリティプレーヤー)で[16]、熊本東リトルシニア時代に現東京ヤクルトスワローズの三冠王選手、村上宗隆の1学年後輩であり、一緒にプレーした先輩後輩の間柄である。また、村上宗隆からキャプテンを引き継ぎ、村上世代に続きKAB旗(熊本県内全硬式野球チームトーナメント大会)で、2年連続優勝を成し遂げている。息子も父と同様、熊本学園大学硬式野球部で野球を続けた。

現在の担当・出演番組

編集

過去の出演番組

編集
何れもRKKラジオ

代表的なもの

他多数

過去の担当番組

編集
何れもRKKラジオ

プロデューサー兼ディレクターとして

編集

ディレクターとして

編集

等多数

ディスコグラフィー

編集

「hmc」名義[8][9]

発売日 タイトル
1 2002年10月 Dear heart〜親愛なる僕らへ〜[9]
2 2003年12月 For season〜僕は大人になったけれど〜[21]

関連項目

編集
  • 熊本竜太 -hugh(ヒュー)名義でラジオパーソナリティとして活動していた頃に「大人になれば」で共演、彼のレギュラー番組「Club Sunday Street」のディレクションも当初は久島が担当しており、久島がディレクターとして見出したタレントでもあった。現:テレビ熊本派遣社員(TKUヒューマン所属)。
  • 塚原まきこ -彼女が「Club Sunday Street」に出演していたことから、度々久島の書くブログ記事に登場しており、彼女がディレクションを手掛ける「Radioマンガ研究室」にも関わりがある等、塚原まきことは縁が深い。

脚注・出典

編集
  1. ^ だいじょ〜ぶラジオ プロフィール”. 熊本放送. 2010年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月19日閲覧。
  2. ^ 久島健一 (2011年11月16日). “果たしてラジオの将来は”. RKKラジオ局ブログ. 2020年6月19日閲覧。
  3. ^ 彼の在籍中にラジオ編成制作部[2]へ再編される。2015年頃に「ラジオ制作部」と「ラジオ編成業務部」に再々編されている。
  4. ^ だいじょ~ぶラジオ 2009年3月28日(土) スピンオフ!!最終回(ポッドキャスティング専用番組)より
  5. ^ a b c d 久島健一 (2012年1月12日). “ウィキペディア恐るべし!”. RKKラジオ局ブログ. 2020年6月19日閲覧。
  6. ^ 当時高校生でFM791かっぱFM等でDJをつとめていたhugh(現:TKUアナウンサーの熊本竜太)を見出したひとりである。
  7. ^ @tonderuwide (2019年1月6日). "ラーメン屋で、昔のミミーキャスターのサイン発見!ラジたまだったのか。ラジたま作ったのは、僕です。笑 ちなみにこのキャラクター作ったのも僕です。笑". X(旧Twitter)より2020年10月24日閲覧
  8. ^ a b h=hugh熊本竜太)、m=MASCOT(DJ MASCOTこと増子和由)、c=coozy(久島)の意。
  9. ^ a b c hmc”. 熊本放送. 2003年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月1日閲覧。
  10. ^ 久島健一 (2011年9月22日). “号外!塚原まきこ、フルマラソン挑戦!!”. RKKラジオ局ブログ. 2020年7月5日閲覧。
  11. ^ 記事によっては明らかに久島であることがわかる書き方であることがあった。[10]
  12. ^ 東京”. Club Sunday Street. 熊本放送 (2001年10月14日). 2003年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月1日閲覧。
  13. ^ 更に、中学時代は放送部に所属していたという
  14. ^ 久島健一 (2011年11月7日). “あまり無理はいけません”. RKKラジオ局ブログ. 2020年6月19日閲覧。
  15. ^ a b @mangarkk (2020年4月25日). "野球が大好きなくーじー(野球部)". X(旧Twitter)より2020年10月10日閲覧
  16. ^ 久島健一 (2011年9月14日). “200本”. RKKラジオ局ブログ. 2020年7月5日閲覧。
  17. ^ とんでるワイドTシャツ!!”. 大田黒浩一のきょうも元気!. 熊本放送 (2019年12月18日). 2020年6月19日閲覧。
  18. ^ hmc Live 終了!!”. Club Sunday Street. 熊本放送 (2003年3月30日). 2004年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月1日閲覧。
  19. ^ 悩み事。”. Club Sunday Street. 熊本放送 (2001年4月1日). 2003年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月1日閲覧。
  20. ^ 小松士郎の日刊・朝まる」開始に伴い増子和由(通称:COOL-D)と交代し途中降板[18]、番組自体は2005年4月3日迄続く。尚、2001年4月開始の内包番組「コカコーラAIRCOOL BEST20」のみ、先述の増子がディレクターとして担当[19]していた
  21. ^ hmc”. 熊本放送. 2003年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月1日閲覧。