堺市立少林寺小学校
大阪府堺市にある小学校
堺市立少林寺小学校(さかいしりつ しょうりんじ しょうがっこう)は、大阪府堺市堺区にある公立小学校。
堺市立少林寺小学校 | |
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北緯34度34分16秒 東経135度28分19秒 / 北緯34.571056度 東経135.471944度座標: 北緯34度34分16秒 東経135度28分19秒 / 北緯34.571056度 東経135.471944度 | |
過去の名称 |
泉州第九区県学分校 泉州第四番小学校 宿院小学校 堺市宿院尋常小学校 堺市宿院尋常高等小学校 堺市少林寺尋常小学校 堺市少林寺国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 堺市 |
設立年月日 | 1872年4月22日 |
創立記念日 | 4月22日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210003140 |
所在地 | 〒590-0963 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
堺市旧市街の南東寄りを校区とし、校区には寺院が多く立地している。学校正門前には、同校の前身校・宿院小学校の卒業生でもある与謝野晶子の歌碑が設置されている。また堺市立学校における在日外国人教育の拠点校として、多民族・多文化共生教育に力を入れている。[要出典]
沿革
編集1872年に設置された泉州第九区県学分校を起源とし、堺市ではもっとも歴史の古い学校の一つとなっている。明治時代当時には宿院町東2丁に校舎があり、宿院小学校と称していた。その後1909年には現在地に移転した。移転と同時に、移転先の地名をとった少林寺小学校と改称している。
現在の堺市立英彰小学校は、1901年に少林寺小学校(当時宿院小学校)から分離した学校である。
年表
編集- 1872年(明治5年)4月22日 - 泉州第九区県学分校として創立。
- 1873年(明治6年)5月1日 - 堺県第十六区中学区大鳥郡第四番小学校(泉州第四番小学校)と称する。
- 1873年(明治6年)6月1日 - 宿院町東2丁に移転。
- 1875年(明治8年)8月1日 - 宿院小学校と称する。
- 1887年(明治20年)3月 - 宿院尋常小学校と改称。
- 1889年(明治22年) - 市制施行により堺市が発足。堺市宿院尋常小学校と称する。
- 1901年(明治34年) - 堺市英彰尋常小学校(現在の堺市立英彰小学校)を分離。
- 1906年(明治39年) - 高等科を設置。堺市宿院尋常高等小学校に改称。
- 1908年(明治41年) - 高等科を廃止。堺市宿院尋常小学校に改称。
- 1909年(明治42年)4月3日 - 現在地に移転。堺市少林寺尋常小学校に改称。
- 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風の暴風雨により木造校舎が倒壊。児童3人が死亡[1]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、堺市少林寺国民学校に改称。
- 1945年(昭和20年)6月20日 - 堺市百舌鳥国民学校(現在の堺市立百舌鳥小学校)に集団疎開。
- 1945年(昭和20年)7月10日 - 堺大空襲で校舎焼失。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 学童集団疎開先の百舌鳥国民学校も空襲被害を受けたため、泉北郡上神谷国民学校(現在の堺市立上神谷小学校)に再疎開。
- 1946年(昭和21年)5月30日 - 戦災復興第1期工事が完成。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、堺市立少林寺小学校に改称。
- 1951年(昭和26年)6月 - 大阪府および堺市から、学校給食モデルスクールに指定される。
通学区域
編集- 堺市堺区 旭通(1街区・2街区)、永代町1丁・2丁、京町通(1街区・2街区)、御陵通(1街区-3街区)、幸通(1街区・2街区)、少林寺町東、新在家町東、神保通(1街区)、寺地町東、中之町東、賑町1丁、南旅篭町東、南半町東、南安井町1丁、文珠橋通(1街区・2街区)、八千代通(1街区・2街区)。
- 卒業生は堺市立陵西中学校に進学する。
交通
編集脚注
編集- ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p330 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)