垂水新太郎
垂水 新太郎(たるみ しんたろう、1853年12月1日(嘉永6年11月1日)[1] - 1932年(昭和7年)7月23日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集京都府出身[2]。垂水九郞左衞門の長男として生まれる[3]。亀岡藩の藩校で学び、漢学を修める。亀岡中学校助教諭、同監事、亀岡河原町会議員、南桑田郡全町村連合会議員、亀岡町会議員、同町長、南桑田郡会議員、同議長、京都府会議員、京都府農会議員、同副会長、園部税務署所得税調査委員会長、亀岡銀行監査役、南桑銀行頭取となる[2]。
1927年の京都5区の補欠選挙において無所属で立候補して当選した。その後、立憲政友会に入り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1932年死去。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。