在日インド人(ざいにちインドじん)は、日本に一定期間在住するインド国籍の人々である。

在日インド人、インド系日本人

インドの旗日本の旗
総人口
48,835人
(2023年末時点)[1][2]
居住地域
東京都神奈川県横浜市など
言語
ヒンディー語インド英語グジャラート語パンジャーブ語タミル語カンナダ語日本語
宗教
ヒンドゥー教イスラム教など

統計

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インド国籍を保持して日本に住んでいる人々は、日本の法務省の在留外国人統計によると、2023年末時点で48,835人である[1][2]

在留資格別(6位まで)
順位 在留資格 人数
1 家族滞在 11,370
2 技術・人文知識・国際業務 11,234
3 永住者 8,523
4 技能[注釈 1] 6,412
5 留学 1,719
6 高度専門職1号ロ 971
都道府県別(10位まで)
順位 都道府県 人数
1 東京都 17,876
2 神奈川県 7,754
3 千葉県 2,327
4 埼玉県 1,914
5 茨城県 1,827
6 兵庫県 1,637
7 大阪県 1,637
8 愛知県 1,539
9 北海道 1,249
10 栃木県 1,005

概要・歴史

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インド国籍の住民が最も多い市区町村は東京都江戸川区で、2024年(令和6年)11月1日時点で7446人である[3]。その中心は西葛西地区のインド人コミュニティで、「リトルインディア」とも呼ばれる。その顔役であるジャグモハン・S・チャンドラニ(江戸川インド人会会長・在日インド商工協会理事長)は営団地下鉄東西線が延伸して西葛西駅が開業する前年、1978年(昭和53年)に来日して、紅茶輸入に必要な倉庫を江戸川区の東京湾岸に見つけて、そこから近い西葛西に住むようになった[4]。その後、コンピューターの誤作動が懸念された2000年問題対応のため来日したインド人ITエンジニアらが、東西線延伸で都心オフィス・金融街との往来が便利な西葛西駅周辺に多く住むようになり、インド料理の食材店に日本人常連客が増えたり、ヒンドゥー教の祭礼ディーワーリーを日本人も楽しんだりするようになっている[5]。2024年(令和6年)12月25日には、在日インド商工協会と江戸川区役所東京商工会議所江戸川支部が包括連携協定を結んだ[3]

一方、幕末開港から港湾都市として発展した兵庫県神戸市神奈川県横浜市には明治時代英領インド帝国などから渡来したインド人のコミュニティが存在する。1923年大正12年)の関東大震災で被災したインド人から神戸へ移住したインド人も多く、1935年(昭和10年)には神戸モスクインド人ムスリムによって建立されるなど、インド人街が形成された。現在、神戸にはモスクの他、ヒンドゥー教やシク教ジャイナ教といったインド発祥宗教寺院、インド食材屋、インド料理屋などが立ち並んでいる。神戸や横浜のインド系住民には、祖先の来日から3世、4世となり、日本へ帰化した人も多い。

日本には貿易商らだけでなく、英国からの独立運動に携わって亡命してきたインド人もいる。ラース・ビハーリー・ボース(「中村屋のボース」として知られる)と、第二次世界大戦中に欧州から拠点を移したスバス・チャンドラ・ボースが有名であり、第二次世界大戦で英国と戦った日本は、彼らや南方作戦捕虜にした英印軍兵士などを擁してインド国民軍自由インド仮政府東南アジアで組織させた。

2020年代においては、北海道日高地方産地で働くために来日するインド人が増えている。浦河町では家族連れも増えており、人口の3%を記録するなど全国的にも高い割合となっている[6]

学校

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インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン (江東区)

日本国内に在日インド人向けの学校が数校あり、一部では日本人も受け入れている。

在日インド人・インド系日本人一覧

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脚注

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注釈

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  1. ^ 外国料理の調理師など。

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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