土御門泰広
江戸時代前期の公家
土御門 泰広(つちみかど やすひろ)は、江戸時代前期の公家。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長16年4月28日(1611年6月9日)[1] |
死没 | 慶安5年7月14日(1652年8月17日)[1] |
官位 | 正四位下右衛門佐[1] |
主君 | 後水尾天皇 → 明正天皇 → 後光明天皇 |
氏族 | 土御門家 |
父母 | 父:土御門泰重、母:織田信重の娘[1] |
兄弟 | 泰広、隆俊[1] |
子 | [注 1] |
経歴
編集慶長16年(1611年)陰陽頭土御門久脩の嫡男・泰重の長子として生まれる。寛永4年(1627年)元服任官、寛永13年(1636年)叙爵[1]。安倍氏の流れを引く土御門家は代々陰陽頭に補せられていたが、父の代より陰陽頭は幸徳井家に取って代わられていた。そのため泰広も陰陽頭には就任しておらず、官職は中務大輔、右衛門佐に留まった[3][1]。慶安2年(1649年)正四位下となるが、慶安5年(1652年)父に先立って42歳で卒去した[1]。