土井利見
土井 利見(どい としちか[2])は、江戸時代中期の大名。下総国古河藩主。土井家宗家9代。官位は従五位下・美濃守。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝暦8年3月29日(1758年5月6日) |
死没 | 安永6年10月27日(1777年11月26日) |
改名 | 才百(幼名)→松平乗常(初名)→土井利見 |
別名 | 甚三郎(通称) |
戒名 | 善了院殿総誉諦学義山大居士 |
墓所 |
東京都府中市紅葉丘の誓願寺 茨城県古河市大手町の正定寺 |
官位 | 従五位下、美濃守[1] |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 下総古河藩主 |
氏族 | 大給松平家→土井氏 |
父母 | 父:松平乗祐、養父:土井利里 |
兄弟 |
松平乗孝、松平乗用、松平乗房、 松平乗完、西郷員相、堀直起、松平守惇、利見、松平忠順、松平乗峰、里姫、牧野貞長正室、三浦矩次正室、松平近儔正室、岩城隆恕正室、永井尚志正室、岡部盛真室 養兄弟:井上正定正室、利剛、利建、三保子、青山忠裕正室 |
子 | 養子:利厚 |
特記 事項 | 諱の読みは「としちか」とも「としあきら」ともいわれる |
生涯
編集宝暦8年(1758年)3月29日、三河国西尾藩主・松平乗祐の十男として誕生する。古河藩嫡子・土井利建が廃嫡されたため、安永4年(1775年)11月25日に先代藩主・土井利里の養子となり、閏12月11日に従五位下・美濃守に叙位・任官する。安永5年(1776年)4月に10代将軍・徳川家治が日光東照宮社参を行なった際、京都所司代として在職している利里に代わって名代として[2]将軍一行を迎えた[1][注釈 1]。
安永6年(1777年)8月14日に利里が死去したため、10月4日に家督を継いだ[1][注釈 2]。しかし1か月足らず後の10月27日に死去した。享年20[1][注釈 3]。
系譜
編集父母
養子
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 早川和見『古河藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年2月。