園基茂
園家21代。母は家女房。正二位・権中納言
園 基茂(その もとしげ、1793年6月21日(寛政5年5月13日) - 1840年7月12日(天保11年6月14日))は、江戸時代の公家。権中納言。参議。華道家。園家21当主。青山流第24代家元[1]。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1793年6月21日(寛政5年5月13日) |
死没 | 1840年7月12日(天保11年6月14日) |
戒名 | 清凉光院観月澄智 |
官位 | 正二位、権中納言、参議 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇 |
氏族 | 園家 |
父母 | 父親:園基理 |
兄弟 | 園基利、理子(千家尊孫室)、花園実路(花園公燕養子)、槙子(石井行遠室)、高野正子(光格天皇典侍) |
妻 | 松浦季子(松浦清の娘) |
子 | 園基万、園基祥、茂子、中山愛子(中山忠能室) |
生涯
編集権大納言・園基理の子として生まれる。1824年7月15日(文政7年6月19日)、参議となり、1831年(天保2年)権中納言、1836年(天保7年)に正二位となる。青山流生花の家元で「活花手引草後編」を手掛けた[2][3]。
1840年7月12日(天保11年6月14日)、死去。享年48。戒名は清凉光院観月澄智。著作に「石清水臨時祭申沙汰記草」などがある[2]。