国吉亮之輔
日本の弁護士、政治家
国吉 亮之輔(國吉 亮之輔[1]、くによし りょうのすけ、1862年11月28日(文久2年10月7日)[1] - 1927年(昭和2年)2月26日[2])は、日本の弁護士、政治家。山口県宇部市長(初代)[3]。族籍は山口県士族[1]。
人物
編集國吉明信の長男[1]。1906年、家督を相続する[1]。法学を修める[1]。弁護士となり、民事刑事の訴訟事務に従事する[1]。1922年3月22日に宇部市長に就任、1926年3月21日に退任した[3]。住所は大阪市東区平野町[1]。
家族
編集- 国吉家
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第4版』く27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月13日閲覧。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、352頁。
- ^ a b 歴代宇部市長宇部市サイト。2022年8月13日閲覧。
- ^ 三浦壮「戦間期日本における鉱業資本家と地方工業化の展開 」、2022年8月14日閲覧。
- ^ 横山俊一郎「山口県宇部地域における泊園書院出身者の事業活動の一考察―渡辺祐策を支えた名望家を中心に―」、2024年6月2日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』山口9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月13日閲覧。
- ^ 『山口大学三十年史』山口大学、1982年、p.1320。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。