国兼正浩
国兼 正浩(くにかね まさひろ、1957年8月12日 - )は、日本の元騎手。
国兼正浩 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
生年月日 | 1957年8月12日(67歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1979年3月3日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 |
1991年2月28日 1991年2月17日(最終騎乗) |
通算勝利 | 1455戦77勝 |
来歴
編集1979年3月に美浦・鈴木勝太郎厩舎からデビューし、3日の中山第1競走4歳未勝利・ディアスポート(18頭中18着)で初騎乗[1]を果たすと、4月1日の中山第3競走4歳未勝利・メイワセイコーで初勝利を挙げる[2]。11月11日の福島第7競走アラブステークスではリオノルテに47kgで騎乗し[3]、2017年に藤田菜七子が騎乗するまで38年間も現れなかった[4]。1年目の同年は9勝[5]をマークし、関東の新人賞に当たる民放競馬記者クラブ賞を受賞[6]。
2年目の1980年には4月6日の中山第12競走5歳以上オープンでシービークロスに騎乗しダービー馬ラッキールーラに先着する3着[7]に入り、5月31日・6月1日の東京で初の2日連続勝利[8] [9]を挙げるなど初の2桁となる10勝をマークし、1982年まで3年連続2桁勝利を記録[5]。
3年目の1981年には11月1日の東京第3競走3歳新馬でニシノユナイトに騎乗しアズマハンターの3着[10]に入り、自己最多の12勝[5]をマーク。
1982年には7月10日の福島で初の1日2勝[11]を挙げるなど、前年と同じ12勝をマークしたが、同年が自身最後の2桁勝利となった[5]。
1984年12月2日の中京第5競走3歳新馬をタケノハナミで2着[12]に入ったが、自身初の0勝[5]に終わる。
1985年には福島戦6勝を含む8勝[13]、1987年には秋の福島戦5勝を含む8勝[14]をマークしたが、1988年には再び0勝に終わる[5]。
1987年12月17日には夜に中京の調整ルーム内で、塚越一弘に騎乗に関して批判された事に端を発して口論となり、塚越に顔面を殴られ打撲傷を負った。結局、塚越が開催日4日間、国兼が開催日2日間の騎乗停止を受けた。2024年に池添謙一と富田暁が「互いに粗暴な行為」で騎乗停止になった際、競馬評論家の須田鷹雄が自身のXに「騎手どうしの喧嘩というと塚越一弘vs国兼正浩を思い出してしまう」と投稿している[15]。
1989年にはタマツバキ記念でセザンボーイに騎乗しアキヒロホマレの6馬身差2着[16]に入ったが、11月19日の福島第3競走4歳未勝利・キンザンピューマが最後の勝利[17]となり、1991年2月17日の東京第7競走4歳500万下・タイムトラベラー(14頭中13着)を最後に引退[18]。
騎手成績
編集通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 74 | 88 | 105 | 1187 | 1454 | .051 | .111 |
障害 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 |
計 | 74 | 88 | 105 | 1188 | 1455 | .051 | .111 |
脚注
編集- ^ “国兼正浩の近走成績”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “国兼正浩の近走成績”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “アラブステークス|1979年11月11日”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “Untitled”. jra.jp. 2025年1月20日閲覧。
- ^ a b c d e f “国兼正浩の年度別成績”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ 「サークルだより『関東新人賞は国兼騎手』」『優駿』、日本中央競馬会、1980年2月、84頁。
- ^ “5歳以上|1980年4月6日”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “3歳新馬|1981年11月1日”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “3歳新馬|1984年12月2日”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[1985年度 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[1987年度 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “須田鷹雄 on X: "騎手どうしの喧嘩というと 的場文男vs宮浦正行 塚越一弘vs国兼正浩 を思い出してしまう私はおじいちゃん。後者は塚越が一方的にシバいたんだっけか。 しかし、17コ下がキレるようなイジり方ってなにしたん。 まあ、よその人に危害加えなかったのと、競馬会が見て見ぬふりにしなかったのはよかった。" / X”. x.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “タマツバキ記念|1989年9月17日”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|国兼正浩の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “国兼正浩の近走成績”. netkeiba.com. 2025年1月20日閲覧。