嘉納治郎作
嘉納 治郎作(かのう じろさく、文化10年10月24日〈1813年11月16日〉 - 明治18年〈1885年〉9月15日)は、江戸幕府幕臣、明治維新後は廻船業者。幼名は幸丸[1]。諱は希芝。講道館の創始者である嘉納治五郎は治郎作の三男。
生涯
編集文化10年10月24日(1813年11月16日)、近江国坂本村に、日吉大社の神職・生源寺希烈の次男として生まれる[1]。摂津国御影村の廻船問屋である嘉納治作の養子となり、廻船業を継ぐ。
文久2年(1862年)、勝海舟の指導を受け、和田岬、神戸・西宮の砲台築造工事を請け負った。慶応3年(1867年)10月、廻船御用達に任命され、幕府が所有している汽船である長鯨丸、奇捷丸、太平丸らを託され、洋式汽船における日本最初の江戸-大坂間における定期航路(江戸―神戸―大坂)を開いた。明治維新後は政府に仕え、要職を歴任した。明治17年(1884年)には海軍権大書記官に任ぜられたが、翌年の明治18年(1885年)9月に死去する。
演じた人物
編集アニメーション
編集- 広田みのる:『嘉納治五郎伝 柔の道』(2024年)