喰違門
江戸城外郭城門のひとつ
喰違門(くいちがいもん)は、江戸城外郭城門のひとつである。四谷門と赤坂門との間にあった。
清水坂から紀州家中屋敷に行く喰違土手の前に当たることからの名であるという。
歴史
編集「事跡合考」には、「四つ谷門の続き木戸喰違門は小畠勘兵衛昌盛が縄なり、先年より井伊掃部頭下館の後、彼木戸門際の榎の大木共は勘兵衛逆茂木として植えたるもの、今に至り数株しげりあるなり」とあるが、これは徳川秀忠将軍の時のさまであるという。
「御当家紀年録」によれば、寛永13年の外濠普請の際、この門の升形は丸亀城主生駒壱岐守高俊の助役で組み上げられたものであるという。
万治年間にも造営が行なわれ、「府内備考」には、「万治二年所々御門御造営の時、喰違御門は長谷川久三郎、日根半助を奉行に命ぜられしよし万治年録に載たれば、古くは外々御門とひとしき造りなりしならん、今は仮そめの冠木門となれり、或は喰違土橋とも称す」とある。
関連項目
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座標: 北緯35度40分52.6秒 東経139度43分56.1秒 / 北緯35.681278度 東経139.732250度