啓示宗教

啓示に基づく宗教

啓示宗教(けいじしゅうきょう)は、広義の意味において、人間に下したとされる啓示に基づく宗教を指す[1]。「啓示」の類語には「天啓(てんけい)」、「神託(しんたく)」などがある。狭義の意味においては、啓典を啓示とする宗教もある[注 1]。啓示宗教は、人為宗教(創唱宗教)や自然宗教に対する概念であるとされている[2][注 2]

各宗教の「啓示の神」と「啓示の使い」について

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啓示には、発信する側と、受信する側がある。啓示宗教とされる場合、発信する側が上位の存在者や通達者であり、受信する側は、その現象や通達の実行者である[注 3]。広宗教によっては、啓示をもたらす存在が想定されていない場合は、「直感」という。

ヴェーダの宗教

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ヴェーダにおける啓示宗教には、バラモン教ヒンドゥー教があげられる[注 4] 。ヴェーダは、古代のリシ(聖人)達によって神から受け取られたと言われ、シュルティ(天啓聖典)と呼ばれる。

ウパニシャッド哲学等においては、悟りの境地に到達した古仙人たちのことが語られている[注 5]ので、古代の聖人たちと関係のあるバラモン教の宗派においては、天啓と悟りとには、密接な関係があると見ることができる。また、七仙人を仏教的に諸仏と解釈すると、初期仏教において「諸仏の教え」とされる句は、宗教の違いを超えた、普遍的な啓示の言葉であると見ることができる[注 6]

初期の仏教における啓示宗教

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ゴータマ・ブッダは、自然の背後に神の存在を認めていた。また、神はあるということは、智者によって一方的に(直感的に)認識されるべきであるとしていた[3]。宇宙の真理としてのバフラマーは、啓示を「この世の主であるバフラマー神」(如来)によって、修行完成者としてのブッダに下したとされる。また、初期仏教においては、万古不滅の法[4]として、諸仏の教えがあるとしている[注 7]。また、ブッダは、諸仏を尊敬し信じる心のある者は、それだけで、天に生まれるとしている[5]。この思想は、ブッダの記憶の中にあった、諸仏が受け継いできた神よりの啓示であるとも見ることができる[注 8]

ユダヤ教における啓示宗教

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「在りてある者」としての神は、モーセに、十戒等の啓示を下したとされる。ユダヤ教旧約聖書における神観念は、初期には拝一神教であった[6]。拝一神教とは、他との調和をはかるという特質がある[注 9]。神の唯一性が絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされるので、モーセの時代には、多神教徒とは争わないで調和して生きよ、という神の啓示があったと見ることができる。

タナハにおいて、拝一神教に該当する部分については、啓示宗教であるといえる。神の唯一性が絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされることから、タナハにおける絶対的一神教としての神の啓示の部分は、神話と編集作業から生まれたものとされている[注 10]

古代ギリシャにおける啓示宗教

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古代ギリシャでは、あの世の神的次元にいるとされる神々が、賢者に啓示を下すと考えられていた。プラトンは、ソクラテスの言葉として、神々に対する不敬を行った者などは、あの世にて重い罰を与えられるエルの物語を記した。これは、神話ではなく、ソクラテスの受けた啓示を物語として記したものであるといえる[注 11]

ナグ・ハマディ文書の中に、『エウグノストス』という写本がある。この書は、宇宙開闢の神について語られている。次の、宇宙の真理を説く天啓に満ちた人が来るまでの神の認識の書であるとされている。これは、宇宙開闢の神が、天啓を賢者に下した、と見ることができる[注 12]

イスラム教における啓示宗教

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イスラム教においては、神が、啓示を下し、天使がムハンマドの意識を支配して、天使は、その啓示を人間の言葉で信者に伝える、という形式がほとんどである。初期の頃、神は、ムハンマドが意識を保ったままの状態で啓示を下すことがあったとされる。そのときは、ムハンマドが、信者に、啓示で受けた言葉を伝えたとされる[7]

イスラム教スーフィズムにおける啓示宗教

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スーフィズムにおいては、修行によって、神と自己の本質が同じであると直感することができるとする。自我意識を内的に超克したところに、神の顔を見ることが出来るとされている[8]

シャーマニズムにおける啓示宗教

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広義には、地域を問わず、シャーマンが関わる宗教、現象、思想を総合してシャーマニズムと呼んでいる。その中にあって、自然界における神的存在やあの世の神的存在がシャーマンに神事を告げてきた時には、啓示宗教としての形態を持つことになる。

キリスト教の絶対的一神教(三位一体の神)における啓示宗教

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キリスト教においては、三位の神が、それぞれに啓示を下すとされている。啓示を受け取るのは、信者個々人や、教会組織がそれを受け取る。神の場合、キリストの場合、聖霊の場合、各聖人の場合があり、それを受け取る側が、神の啓示であると認識する構図となっている[注 13]

新約聖書におけるイエスの受信した啓示宗教

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神または聖霊がイエスに対して啓示を行う[注 14]

キリスト教グノーシス主義における啓示宗教

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キリスト教グノーシス主義においては、神または聖霊がイエスに対して啓示を行う。

日本における啓示宗教

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神道系の宗教に関しては、神道の神の啓示が、教祖に下るとされる宗派がある。それらの多くは、日本神話に登場する神々である場合が多い。

仏教系の宗教に関しては、仏典に出てくる如来菩薩の啓示が、教祖に下るとされる宗派がある。

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 人の手による編集の含まれた聖典を、全体として神からの啓示であるとしているところもある。また、歴史上の人物そのものが、唯一神よりの啓示であるとする宗派もある。これは啓示を受け取る側の認識の在り方が影響を与えていると見ることができる。
  2. ^ 絶対的一神教の影響からか、汎神論的な人格神の啓示についてはこれを除外するという認識の傾向がある。
  3. ^ 啓示を受け止める側の認識の在り方によって、宗教哲学的信仰から、盲信的信仰までの種類が考えられる。
  4. ^ バラモン教とは、バフラマーの教えという意味もあり、宇宙の真理とバフラマーとは、関係があると考えられていた。
  5. ^ 原始仏典の古い詩句では、古来言い伝えられた七人の仙人という観念を受け、ブッダのことを第七の仙人としていた。(出典 原始仏典II 相応部第一巻P484第8篇注80 中村元ほか)
  6. ^ 仏教が興った最初の頃は諸宗教を通じて、賢者が「ブッダ」と呼ばれていた。「もろもろのみ仏」と言う場合、「真理を知っている人たち」というほどの意味である。(出典『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店1978年P110 真理のことば訳注194 中村元)
  7. ^ 法句経の183の句は、昔から「七仏通誡偈」と言われている。「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏の教えである」という句である。過去七仏がみな、この詩を教えたもうたとされている。(出典『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店1978年P105 真理のことば訳注 中村元)。このことは、自分の心を浄め、行いを正す、という自力向上の道から外れたことを説く啓示は、神ならざるもの、諸仏ならざるもの啓示であると判断すべきことを示しているといえる。
  8. ^ 諸仏を尊敬する者は、苦しみから救われるということを、普遍的な神的世界よりの啓示と考えた場合、イエスの説いた神の愛もまた、この教えに通じているということができる。
  9. ^ 拝一神教は、特定の一神のみを崇拝するが、他の神々の存在そのものを否定せず、前提としている点で、絶対的一神教(唯一神教)とは異なっている。(出典岩波キリスト教辞典 岩波書店2002年P869 拝一神教の項目 山我哲雄)
  10. ^ どの部分に編集の手が加わっているかははっきりしないので、絶対的一神教を強調している部分は、啓示的ではない、と解釈することができる。
  11. ^ ギリシャの古代の思想は、宗教と哲学とを分けて考えてはいなかった。また、古代ギリシャの宗教としてのオルペウス教は、神話を啓示の位置にもってきている。
  12. ^ キリスト教グノーシス主義者によって編集されている同名の他の一冊を度外視して考えると、古典的な古代ギリシャ思想であると見ることができる。キリスト教グノーシス主義の一部は、現実の天地をつかさどる神が、「貧しい創造をした神」として、卑しめているという特徴がある。しかし、この書は、二元的ではないとされている。(出典『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』 岩波書店 1998年 解説エウグノストス P503 小林稔)
  13. ^ 新約聖書においては、三位一体の神という啓示は無い。この教義は、歴史上の人物そのものが神の啓示であるとする思想につながっている。また、聖典編集者が聖霊に満たされて追記した文章についても、これを神の啓示と同等のものとして、啓示であると認識する場合がある。
  14. ^ 罪ということに関してみるならば、神と聖霊との間には、一体でない部分があると考えていたようだ。神には、良いものの上にも悪しき者の上にも太陽をのぼらせるという言葉に見られるように、まったく平等に人間を受け止めていると考えることができる。(マタイ福音書5:45)。一方、聖霊に敵対する者には、永遠の罪が定められるという言葉がある(マルコ福音書3:28)。

出典

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  1. ^ ブリタニカ百科事典【啓示宗教】
  2. ^ ブリタニカ百科事典【自然宗教】
  3. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典 Ⅲ』第100経 清らかな行いの体験ー サンガーラヴァ経 春秋社2005年 中村元監修 山口務訳
  4. ^ 岩波仏教辞典第二版P901
  5. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』第34経 小牧牛経 前書きP504 春秋社2004年 中村元監修 平木光二訳
  6. ^ サムエル記上26:19、士師記11:24、出エジプト記20:2
  7. ^ 『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P300 解説
  8. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年P212