唐栄鉄工廠
唐栄鉄工廠(とうえいてっこうしょう)は台湾の企業家である唐栄が1940年に創立した[1]鉄鋼メーカーである。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 台湾店頭市場20352006年7月7日上場 |
本社所在地 |
中華民国(台湾) 812-60 台湾高雄市小港区沿海二路4号 |
設立 | 1955年4月26日(公司登記日) |
業種 | 鉄鋼 |
事業内容 | ステンレス鋼製造 |
代表者 |
董事長:呉豊盛 総経理:趙健在 |
従業員数 | 4,994人 |
主要子会社 |
台湾車輛股份有限公司 唐栄車輛科技股份有限公司 唐栄文教基金会 |
外部リンク | http://www.tangeng.com.tw/ |
唐栄鉄工廠股份有限公司 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 唐榮鐵工廠股份有限公司 |
簡体字: | 唐荣铁工廠股份有限公司 |
拼音: | Tángróng Tiěgōngchǎng Gǔfènyǒuxiàngōngsī |
英文: | Tang Eng Iron Works Co., Ltd. |
概要
編集唐栄鉄工廠は1940年、日本統治時代の台湾において唐栄鉄工所として設立された。第二次世界大戦後、台湾に遺された日本資本の製鉄設備を買い入れて唐栄鉄工廠と改名した。かつては台湾で最大の民間企業であり、台湾全土に多くの鋼鉄加工事業所を持った。
ところが董事長(代表取締役に相当)の唐栄は陳誠と蔣経国による蔣介石の後継者争いに巻き込まれることとなる。唐栄鉄工廠はオールド台湾ドルからニュー台湾ドルへのデノミネーションに際して援助を受けるなど陳誠と縁の深い企業であった[2]が、陳誠の死去により蔣経国が後継者に確定したこともあり、中華民国政府に接収され、1962年より台湾省省営事業とされた。唐栄は失意のうちに亡くなった。
その後台湾が飛躍的な経済成長を遂げると、産業保護条例により守られていた唐栄鉄工廠は国外の同業他社との競争についていくことができず、業績は下落した。1999年の政府制度改革により経済部に属する国営事業となった。2006年8月には株式上場を果たし、再び民営化されることとなった。
2002年、唐栄鉄工廠は中国鋼鉄、日本車輌、住友商事との4社合弁で台湾車輌を設立し、鉄道車両の生産を分社化した。バス製造事業についても同様に、唐榮車輌科技股份有限公司として分社化が行われた。
製品
編集鉄道車輌事業部
編集- 莒光号用客車(一部)
- 通勤客車、平快車(一部)[3]
- 冷気対号(復興号)用客車[3]
- 電源荷物車[3]
- E1000型の食堂車[4]
- DR2300型車体更新
- DR2510型気動車
- DR3100型(日本車輌製/組立)
- DR1000型(日本車輌製/組立)
- 阿里山号初代客車
- 林務局羅東林区管理処(太平山森林鉄路)
- 太平山蹦蹦車[3]
- 林務局新竹林区管理処
- 亞洲水泥
- 客車各種[3]
- サウジアラビア鉄道
- 貨車各種[3]
バス車両事業部
編集- 交通部公路局/台湾汽車客運公司(現在の国光汽車客運)
- 台北市公車処(現在の大都会客運)
- インターナショナル自動車3000REシャシーの車体
- 欣欣客運
- 日野ERK2JMLシャシーの車体(一部)
- いすゞLT134Lシャシーの車体(一部)
- 三重客運
- いすゞLT134PRKシャシーの車体(一部)
出典
編集- ^ 唐栄鉄工廠 沿革
- ^ 山田敦「1930年代台湾の台湾人企業家・試論」『人文學報』第74巻、京都大学人文科学研究所、1994年3月、82頁、CRID 1390572174797153536、doi:10.14989/48422、hdl:2433/48422、ISSN 0449-0274、2024年1月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 台灣車輛公司 唐榮鐵工廠鐵道車輛工場時期生產/銷售實績 Archived 2009年7月22日, at the Wayback Machine.
- ^ 台灣車輛公司 產品類別
参考資料
編集外部リンク
編集- 唐栄鉄工廠 (正体字中国語・英語)
- 台湾車輌公司 - 唐栄鉄工廠鉄道車輌工場時期の生産・販売実績 (正体字中国語)