和知ダム(わちダム)は、京都府船井郡京丹波町小畑字下野に位置する水力発電用ダム。

和知ダム
所在地 京都府船井郡京丹波町小畑字下野
位置 北緯35度15分08秒 東経135度25分00秒 / 北緯35.25222度 東経135.41667度 / 35.25222; 135.41667
河川 由良川水系由良川
ダム湖 名称未定
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 25.2 m
堤頂長 141 m
堤体積 24,000 m3
流域面積 573 km2
湛水面積 56 ha
総貯水容量 5,119,000 m3
有効貯水容量 1,286,000 m3
利用目的 洪水調節、流水の正常な機能の維持、発電
事業主体 関西電力
電気事業者 関西電力
発電所名
(認可出力)
和知発電所
(5,700kw)[1]
施工業者 森本組
着手年 / 竣工年 1961年1968年
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概要

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関西電力により、由良川水系由良川に設置された重力式コンクリートダム1961年に着手、1968年に竣工した[2]。同年12月25日には、和知発電所(5,700kw)が運転を開始した[1]。竣工年は、後述する事故前に完成検査を終えていたとして1967年とするものもある。

ゲート決壊事故

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1967年7月2日、完成検査を終えたばかりのダムで湛水を行っている最中、第三ゲート(高さ12m、幅9m)の操作を行ったところ突然ゲートが吹き飛んだ。既に満水に近い状態であったため大量の水が下流に流出し、下流で釣り人が流されて1人が死亡した[3]。事態を重く見た近畿地方建設局は、「和知ゲート事故技術調査委員会」を組織。調査に当たった結果、ゲート(扉)の重量が安全率を満たす最低限まで軽量化されていたものであったことが判明している[4]

1967年10月27日、建設省は関西電力に対して和知ダムの改造命令を出した。また、同年11月までにダムの構造令を定めるとともに検査規則を改訂することを発表した[5]。復旧工事は1968年8月17日に着手した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 『関西電力二十五年史』(1978年3月25日、関西電力株式会社発行)598頁。
  2. ^ 和知ダム”. ダムネット. 2020年10月17日閲覧。
  3. ^ 「新造ダムの水門吹き飛ぶ 濁流襲い避難警報」『朝日新聞』昭和42年7月3日朝刊、12版、15面
  4. ^ 「軽量だったゲート 関電和知ダムの水門決壊 事故を招いた安上がり主義」『朝日新聞』昭和42年7月26日夕刊、3版、11面
  5. ^ 「和知ダムに改造命令 構造令なども制定へ」『朝日新聞』昭和42年10月28日朝刊、12版、14面

参考リンク

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