和泉 史郎(いずみ しろう、1961年5月6日[1][2] - )は、日本の元俳優。本名は常盤 一郎ときわ いちろう[1]

いずみ しろう
和泉 史郎
本名 常盤 一郎
生年月日 (1961-05-06) 1961年5月6日(63歳)
出生地 日本の旗 日本千葉県
身長 180 cm[1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1984年 - 2000年
事務所 放映新社( - 2000年
主な作品
テレビドラマ
電撃戦隊チェンジマン
恐竜戦隊ジュウレンジャー
おんな風林火山
暴れん坊将軍III
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画像外部リンク
2022年の和泉|英語版Wikipedia

千葉県出身[1][2]千葉県立八千代東高等学校卒業[1]。以前は、Vacdeville[2]放映新社[1]に所属していた。既婚。

来歴・人物

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東映演技研修所を経て、東映俳優センターに所属[3][4]。その後、劇団東京ヴォードヴィルショーなどで活躍した[5]

1985年スーパー戦隊シリーズ電撃戦隊チェンジマン』の大空勇馬 / チェンジペガサス役として出演。

1992年、同じくスーパー戦隊シリーズ『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のブライ / ドラゴンレンジャー役として再び出演し、シリーズ初の6人目の戦士を演じた。

特技は、剣道野球ゴルフ[1]2000年に芸能界を引退し、丸ビル内の天ぷら店「天まる」に勤務していた。 2023年8月退職。

エピソード

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『チェンジマン』では、レッド役(剣飛竜 / チェンジドラゴン役)狙いでオーディションを受けたが、最終的には三枚目の役で起用された[4]自動二輪免許を取得していたため、同じく免許を持っていた疾風翔 / チェンジグリフォン役の河合宏とともにオートバイのシーンを担うことが多かった[4]

『ジュウレンジャー』でのブライ / ドラゴンレンジャー役は、当初は5話程度のゲスト出演でオファーを受けたものの人気を獲得したことで、予定を変更して番組後半まで活躍することになった[4]プロデューサー白倉伸一郎は和泉には柔らかいイメージがあったため起用を反対していたが、結果的に人気を博したのでグウの音も出ないと述べている[6]。ファンレターの多くは、『チェンジマン』をリアルタイムで視聴していた母親層からであったという[2][4]。自宅の前にファンの親子が待っていたが、洗濯物を盗まれたり車に落書きをされるなどの迷惑行為もあった[1]。共演した望月祐多は、和泉について年上で頼れる存在であったといい、役柄同様に兄のように慕っていたと述べている[7]

後楽園ゆうえんち野外劇場(当時)のスーパー戦隊ショーに和泉が登場したときの好評ぶりが、以後のシリーズ作品で変身前を演じる俳優が公演に加わるきっかけとなった[8]

『チェンジマン』撮影時は、相葉雅紀の叔母にヘアーカットして貰っており、実家に呼んでもらってチェンジペガサスのサインをあげたりしていた[9]

出演

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テレビドラマ

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映画

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オリジナルビデオ

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舞台

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脚注

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注釈

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  1. ^ 最終話ではチェンジペガサスのスーツアクターも担当した[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 日本タレント名鑑2000』VIPタイムズ社、2000年、36頁。 
  2. ^ a b c d 「特別企画 恐竜戦隊ジュウレンジャーメモリアル座談会 さようなら栄光の戦士たち」『恐竜戦隊ジュウレンジャー スーパー戦隊超全集小学館てれびくんデラックス愛蔵版〉、1993年4月20日、73-77頁。ISBN 978-4-09-101435-1 
  3. ^ 『日本タレント名鑑'88』VIPタイムズ社、1988年、20頁。 
  4. ^ a b c d e f 超世紀全戦隊大全集 1993, p. 187, 「戦隊シリーズ キャストインタビュー 和泉史郎」
  5. ^ 『日本タレント名鑑'92』VIPタイムズ社、1992年、26頁。 
  6. ^ 20th1992 2019, pp. 32–33, 「スーパー戦隊制作の裏舞台 白倉伸一郎」.
  7. ^ 20th1992 2019, pp. 20–21, 「SPECIAL INTERVIEW'92 望月祐多
  8. ^ 『スーパー戦隊の常識 ド派手に行くぜ!レジェンド戦隊編』2102年4月、p.161。ISBN 978-4-575-30413-8
  9. ^ 2021年1月4日のTwitterより[要文献特定詳細情報]

参考文献

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外部リンク

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