呉鎮守府第101特別陸戦隊
呉鎮守府第101特別陸戦隊(くれちんじゅふだいひゃくいちとくべつりくせんたい)は、大日本帝国海軍の特殊部隊のひとつである。指揮官の山岡大二少佐の名を冠して山岡部隊(やまおかぶたい)とも呼ばれていた。また、潜水艦を使用した隠密活動が任務であったため、“Submarine”の頭文字からS特攻部隊(S特)とも呼称された。
概要
編集1944年初期から館山海軍砲術学校(館砲)で養成が始められた。海軍陸戦隊の中でも特に体力、知力に優れ、風貌や体格が白人風という条件を満たした350名を選び編成されていた。訓練は、もっぱら夜間で、アメリカ本土の地理や交通に関する知識をはじめ、英語や風習に関する教育が行われ、隊員の服装や食事もアメリカ風だったといわれている。隊員には、どんな苦難や欠乏にも耐えられるよう特殊な訓練が課せられ、短い自動小銃をはじめ40kgの荷物を背負って、一日60kmを駆け足で移動する強行軍や、富浦町大房岬の海岸にある100m近い絶壁を素手で登る訓練を行ったといわれている。
なお、日本海軍では、山岡部隊のほかにもS特を編成しており、佐世保鎮守府第101特別陸戦隊(山辺部隊)や同第102特別陸戦隊(常盤部隊)などが知られている。
作戦計画
編集当初の計画は、敵陣地に潜水艦で近づき、一人ひとりが夜間隠密に上陸、航空機を焼き払ったり、司令部に進入して幹部を殺害したりして、一挙に戦局を逆転させるものであった。しかし、大戦も末期になると米駆逐艦による哨戒網が厳しく、潜水艦航路の安全性が極端に脅かされるようになったことから断念された。
1944年12月にはアメリカ西海岸へ上陸し破壊活動をおこなうという作戦も立てられた。目的はロサンゼルス郊外のロッキード、ダグラス等の軍用機工場の破壊活動で、人目の付かないアルグエロ岬にゴムボートで上陸し山中に拠点を構築した後、車を奪いロサンゼルスへ突入するという計画だった。また、同時に大統領暗殺の作戦命令を受けたという証言者もいる。作戦に向けた本格的な訓練が行われ、1945年4月ごろには準備も整い発動を待っていたが、沖縄戦の激化のために中止となった。
代わって1945年6月末に、マリアナ諸島のB-29爆撃機破壊を目的とした「剣号作戦」が計画された。一式陸攻30機にS特隊員を乗せてサイパン島・グアム島に強行着陸し、B-29を壊滅させる計画だった。7月には陸軍の空挺部隊300名による共同攻撃と、機銃を増設した銀河72機による直前の地上攻撃も計画に加えられた。さらに8月に広島・長崎に原子爆弾が投下されると、陸軍諜報機関の情報から原爆貯蔵庫があるとされたテニアンも攻撃目標に追加されて、大規模な作戦に発展した。山岡部隊は、青森県の三沢基地に移動、作戦準備に入ったが、同年7月におきた北海道空襲の際に三沢基地も被害をうけ、作戦に使用する一式陸攻の大半が破壊されてしまったため、作戦決行日は8月19-23日に延期された。そして、出撃直前になってのポツダム宣言受諾により、作戦は中止となった。山岡部隊は、一度も実戦に投入されることなく解散した。
参考文献
編集- 太平洋戦争における日本陸海軍部隊要覧、甲斐駿一郎 ISBN 4-882-691531
- 千葉県歴史教育者協議会編『千葉県の戦争遺跡をあるく - 戦跡ガイド&マップ』国書刊行会、2004年 ISBN 4-336-046484
- 『特攻S特 - 海軍特別陸戦隊山岡部隊々史』非売品、山岡部隊隊史刊行会、1978年
- 木村久邇典『責任一途提督阿部孝壮 - 海軍砲術学校長グアムに死す』光人社、1988年 ISBN 4-769-803982