呉甌

中国の官僚・政治家

呉 甌(ご おう、1899年 – 没年不詳)は、中華民国の官僚・政治家。字は伊賢[2][3]。初期は天津市政府などで、後には中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会で各職を歴任した。夏粛初李元暉らと共に、王揖唐の側近と目される人物である。

呉甌
華北郵政総局局長時代(1943年)
プロフィール
出生: 1899年[1][2]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区遼陽県[3][4]
職業: 官僚・政治家
各種表記
繁体字 吳甌
簡体字 吴瓯
拼音 Wú Ōu
ラテン字 Wu Ou
和名表記: ご おう
発音転記: ウー オウ
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事績

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北京大学で文学士を取得。天津市政府秘書長兼社会局局長、軍事委員会北平分会検察処長、北平市政府総務処処長を歴任した[1]。なお、天津市政府に赴任していた間には、呉甌は同市の各種産業調査報告につき「主編」(責任編集)を担当している。呉が刊行した各種調査報告は、後年における天津市の民国期都市社会学研究で重要文献となった。

中華民国臨時政府にも呉甌は参与し、1938年(民国27年)6月25日に行政部副局長に任命され[5]、9月28日には新設された内政部(総長:王揖唐)の参事に転任した[6]。翌1939年(民国28年)6月10日、呉甌は河南省政府公署民政庁庁長署理に起用され、新任の河南省長代理(兼豫北道尹署理)・陳静斎を補佐した[7]。8月9日に陳が省長署理専任になると、同日に呉は内政部へ呼び戻され秘書長に抜擢されている[8]。当時の内政部では次長が空席だったため、秘書長が内政部のナンバー2であった[9]1940年(民国29年)2月24日、高等文官考試試務処処長を兼任している[10]

1940年3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)が成立し、臨時政府が華北政務委員会に改組され、内政部も内務総署に改組された。王揖唐は考試院長として南京に移り、華北政務委員会委員長の王克敏が内務総署督弁[注 1]を兼任することになる。5月4日、華北に残留した呉甌は内務総署秘書長代理に横滑りで任命された[11][注 2]。ところが同日、江紹杰が内務総署署長代理として新たに抜擢され[注 3]、呉は江の下位に回された[注 4]

1940年6月6日、王克敏が汪兆銘(汪精衛)らとの対立の末に委員長兼内務総署督弁等を辞職し、王揖唐が北京に戻って王克敏の地位を引き継いだ。王揖唐は江紹杰を意中の内務総署署長とみなしていなかったため、同年8月31日に江を辞職させ、行政委員会顧問に移す[12]。同日、呉甌が内務総署秘書長代理のまま署長代理を兼任し[13]、9月30日、署長代理の専任となった[14]1943年(民国32年)2月、王揖唐が華北政務委員会委員長などを退任したため、同月11日、呉も併せて辞職した(後任は孫潤宇)。しかし翌月の3月3日、呉は華北郵政総局局長代理に任命されている[15]

日本敗戦後、呉甌は漢奸指名を受けたため、変名を使い逃亡する。その一方で、親交があった中国国民党中央部秘書長・呉鉄城に仲介を依頼した。呉甌の才能を惜しむ呉鉄城が軍事委員会委員長北平行営主任・李宗仁に書簡を送ったところ、李も受け入れて呉甌は赦免された[16]

以後、呉甌の行方は不詳である。

著書

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  • 『聯治論』(1923年7月。出版地:遼陽)
  • 『農業調査報告』(主編。天津市社会局発行。1931年)
  • 『紡績業調査報告』(主編。天津市社会局発行。1931年)
  • 『火柴業調査報告』(主編。天津市社会局発行。1931年)
  • 『面粉業調査報告』(主編。天津市社会局発行。1932年)

注釈

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  1. ^ 華北政務委員会の総署では督弁と署長が正副の関係となり、臨時政府の総長と次長の関係に相当する。
  2. ^ 公報上の任命は5月4日だが、華北政務委員会が成立した3月30日に事実上の重任となっていた可能性が高い。
  3. ^ 江紹杰は臨時政府時代に内政部秘書長、次長を歴任したとの説(東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年、57頁)もあるが、臨時政府『政府公報』に該当する江の人事は記載が無く、しかも他の各職をつとめた記録すら見当たらない。
  4. ^ 劉ほか編(1995)、1056頁では、呉甌が華北政務委員会成立当初の1940年3月30日から署長に就任したかのように記載しているが、これは誤りである。

出典

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  1. ^ a b 呉甌「郵政之回顧與前瞻」『国民雑誌』第3巻第8期、民国32年8月、3頁。
  2. ^ a b 李大偉「孔有徳葬地考」遼陽市情網※リンク先はwebアーカイブ
  3. ^ a b 劉ほか編(1995)、1302頁。
  4. ^ 張同楽(2012)、191-192頁。
  5. ^ 臨時政府令、令字第227号、民国27年6月25日(『政府公報』第24号、臨時政府行政委員会公報処、民国27年7月4日)。
  6. ^ 臨時政府令、令字第265号、民国27年9月28日(『政府公報』第37号、臨時政府行政委員会公報処、民国27年10月3日、2頁)。
  7. ^ 臨時政府令、令字第425号、民国28年6月10日(『政府公報』第82号、臨時政府行政委員会情報処第四科、民国28年6月11日、4頁)。
  8. ^ 臨時政府令、令字第458号、民国28年8月9日(『政府公報』第94号、臨時政府行政委員会情報処第四科、民国28年8月11日、5頁)。
  9. ^ 東亜同文会業務部編『新支那現勢要覧 第二回(昭和十五年版)』、645頁。
  10. ^ 臨時政府令、令字第537号、民国29年2月24日(『政府公報』第134号、臨時政府行政委員会情報処第四科、民国29年3月1日、1頁)。
  11. ^ 華北政務委員会任用令、任字第12号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会8頁)。
  12. ^ 張炳如(1963)、160-161頁。
  13. ^ 華北政務委員会任用令、任字第565号、民国29年8月31日(『華北政務委員会公報』第13-18期合刊、民国29年8月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会28頁)。
  14. ^ 華北政務委員会任用令、会字第86号、民国29年9月30日(『華北政務委員会公報』第19-24期合刊、民国29年9月、華北政務委員会政務庁情報局)。
  15. ^ 華北政務委員会令、会字第960号、民国32年3月3日(『華北政務委員会公報』第195・196期合刊、民国32年3月19日、本会3頁)。
  16. ^ 張炳如(1963)、170頁。

参考文献

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  • 張同楽『華北淪陥区日偽政権研究』三聯書店、2012年。ISBN 978-7-108-03802-9 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 張炳如「華北敵偽政権的建立和解体」中国人民政治協商会議全国委員会文史資料研究委員会編『文史資料選輯 第39輯』中華書局、1963年。 139-173頁