呂号第百十潜水艦

日本の潜水艦

呂号第百十潜水艦(ろごうだいひゃくじゅうせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂百型潜水艦(小型)の11番艦。

艦歴
計画 昭和17年度計画(マル急計画
起工 1942年8月20日
進水 1943年1月26日
就役 1943年7月6日
その後 1944年2月12日戦没
除籍 1944年4月30日
性能諸元
排水量 基準:525トン 常備:601トン
水中:782トン
全長 60.90m
全幅 6.00m
吃水 3.51m
機関 艦本式24号6型ディーゼル2基2軸
水上:1,000馬力
水中:760馬力
電池 1号15型120個[1]
速力 水上:14.2kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:12ktで3,500海里
水中:3ktで60海里
燃料 重油:50トン
乗員 38名
兵装 25mm機銃連装1基2挺
魚雷発射管 艦首4門
53cm魚雷8本
備考 安全潜航深度:75m

艦歴

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  • 1942年(昭和17年)8月20日 - 川崎重工業で起工。
  • 1943年(昭和18年)1月26日 - 進水
    • 7月6日 - 竣工。佐世保鎮守府籍に編入[2][3]
    • 11月10日 - 第8潜水戦隊第30潜水隊に編入[2]
    • 11月10日 - 佐世保を出航。24日、ペナン[2]
    • 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動[2][4]
    • 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈[4]
  • 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動[2]
    • 2月11日 - 北緯17度28分 東経83度32分 / 北緯17.467度 東経83.533度 / 17.467; 83.533のマドラス北東200浬地点付近のベンガル湾で、コロンボからカルカッタへ向かっていたJC-36船団を発見し雷撃。英貨物船「アスファリオン」(Asphalion、6,274トン)の3番船倉と機関室に魚雷1本ずつが命中し、これを撃破[4]
    • 2月12日 - 豪掃海艇「ローンセストン」(en:HMAS Launceston (J179))・「イプスウィッチ」(en:HMAS Ipswich (J186))、インド砲艦「ジャムナ」(en:HMIS Jumna (U21))の攻撃を受け戦没。江波戸艦長以下47名全員が戦死[3]
    • 3月15日 - ベンガル湾で亡失と認定[5]
    • 4月30日 - 除籍

撃沈総数1隻、撃沈トン数4,087トン。撃破総数1隻、撃破トン数6,274トン。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』459頁による。

艤装員長

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  • 不詳

艦長

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  • 江波戸和郎 大尉:1943年7月6日 - 1944年2月12日戦死

脚注

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  1. ^ 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』73頁。
  2. ^ a b c d e 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』98頁。
  3. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』459頁。
  4. ^ a b c 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』162頁。
  5. ^ 『日本海軍史』第7巻、378頁。

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9