吹雪の街を』(ふぶきのまちを)は、多田武彦男声合唱組曲。作詞は伊藤整

概説

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小樽商科大学グリークラブからの委嘱により、1979年(昭和54年)に男声合唱組曲として作曲、同年12月8日の同団札幌演奏会において初演された。

作曲にあたり同団からは「小樽は詩人伊藤整先生の郷国であるので、伊藤先生の詩に作曲してほしい」[1]との懇請があり、多田はそれに応え伊藤の詩集『雪明りの路』から6編の詩を選んで合唱組曲とした。多田は過去に同じ詩集から男声合唱組曲『雪明りの路』(1959年)を発表していたが、本曲では「女性との淡い関係性と別れ」が全編を貫くテーマとして設定されているのが特徴的である。小樽商大としては大変愛着のある曲であり、同団の定期演奏会ではアンコールに終曲「吹雪の街を」を歌うのが恒例となっている。

曲目

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全6曲からなる。全編無伴奏である。

  1. 忍路
    ホ短調。組曲『雪明りの路』の第3曲「月夜を歩く」と同じ舞台を歌っていて、一部の旋律に曲想の引用が見られる[2]。詩の最後、「が」と逆接で止めたところが、伊藤の失恋の無念さである[3]
  2. また月夜
    ホ短調。「また」をつけた題名からも、「月夜を歩く」のヴァリエーションであろう。月の光の中を空想に耽りながら歩きまわっている。振り向いてはくれない彼女とのあいだに、現実にはありえない心の通いあいがうまれるという空想である。精神的な結合を、夢の中で感じているのだ。「月夜を歩く」が行為自体を淡白に描いた詩とするならば、「また月夜」は月夜を歩く伊藤の内側を描いた詩である[4]
  3. 夏になれば
    ヘ長調。原詩では「A mademoiselle T」(T嬢に)との副題がつけられているが、出版譜では省略されている。憧れてきた少女を憧れのままで、遠くから幸福を願うだけでよしとする、ちょっとほろにがい宣言ということになろうか[5]
  4. 秋の恋びと
    ニ短調。恋人と逢うことのできないもどかしさと、別れの予感、そして別れを予感することの陶酔を、詩的に抽出した作品である。まさにイエーツの「秋が来た。木の葉は散り、君の額は蒼ざめた。今は別れるべき時だ。」という句が、伊藤に強く影響している[6]
  5. 夜の霰
    ト短調。「炉ばたの大きい肩」は父親の姿についての、伊藤の幼年時代の印象と理解すべきであろう。けれどもこの詩で肝心なのは、冬の凍った霰が藁仕事の音を消してしまっている点である。つまりこのとき伊藤は、家族の団欒に安住できないような心理状態になるまでに、すでに成長しているのである[7]。平成9年度全日本合唱コンクール課題曲[1]
  6. 吹雪の街を
    ホ短調。原詩ではジャン・モレアスの「Nevermore」という詩の一節が引用されているが、出版譜では省略されている。曲の後半で第1曲のメロディーが再び現れる。かつての情熱的で甘美な日々を、私に再び蘇らせて下さい、と願う詩である。ただし、<NEVER MORE>であることは伊藤自身じゅうぶんわかっているのだが[8]

楽譜

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音楽之友社『多田武彦 男声合唱曲集(5)』ISBN 978-4-276-90672-3 に所収されている。

脚注

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  1. ^ a b 『ハーモニー』No.100 p.68
  2. ^ 深沢、p.58
  3. ^ 深沢、p.59
  4. ^ 深沢、p.75
  5. ^ 深沢、p.78。なお同著では「T」を伊藤の自伝的小説『若い詩人の肖像』(1956年)に登場する浅田絶子に比定している。伊藤が忍路の街を歩き回るのも絶子のことを想ってのこととされる。
  6. ^ 深沢、p.82。なお同著では「恋びと」を『若い詩人の肖像』に登場する重田根見子に比定している。
  7. ^ 深沢、p.62
  8. ^ 深沢、p.85

参考文献

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関連項目

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