名古屋米穀取引所
愛知県名古屋市の米穀取引所
名古屋米穀取引所(なごやべいこくとりひきじょ)は、愛知県名古屋市に所在した米穀取引所。2016年4月現在のNTT西日本東海病院がある場所に所在していた。
概要
編集1876年(明治9年)公布された米商会所条例により、翌年に名古屋米商会所として成立したのを嚆矢とし、1939年(昭和14年)の米穀配給統制法により取引停止するまでの60年強の間、取引が行われた。
沿革
編集- 1876年(明治9年) - 根拠法となる米商会所条例発布[1]。
- 1877年(明治10年)- 6月に米商会所設立の仮免許が交付され、8月1日塩町三丁目において名古屋米商会所として成立する[2]。
- 1893年(明治26年)3月 - 取引所法制定に伴い、株式会社名古屋米穀取引所と改組する[2]。
- 1898年(明治31年)1月 - 従来の市場が狭隘となったため、当時の愛知郡那古野村大字広井(現名駅)に新市場を新築移転[2]。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 所在地一帯が、市場にちなんで米屋町と改称[3]。
- 1926年(大正15年)3月 - 都市計画により、新市場を中区古郷町に移転することとし、市場及び事務所を着工[2]。
- 1927年(昭和2年)1月4日 - 市場が米屋町から米浜町(前年9月に古郷町などの一部により成立[4])の新市場に移転[2]。
- 1939年(昭和14年)10月1日 - 米穀配給統制法の成立により、終焉を迎える[2]。
役員
編集設立当初
編集株式会社改組当時
編集『日本全国諸会社役員録 第21回』
編集『日本全国諸会社役員録 第38回』
編集『日本全国諸会社役員録 第41回』
編集取引高
編集最高は1926年(大正15年/昭和元年)の539万2000石、最低は1899年(明治32年)の130万3300石[8]。
脚注
編集- ^ 中村区制十五周年記念協賛会 1953, p. 548.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 中村区制十五周年記念協賛会 1953, p. 549.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 767.
- ^ 福岡清彦 1976, p. 17.
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第21回』愛知県 下編262頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月4日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第38回』愛知県 上編798頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月4日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第41回』愛知県 上編828頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月4日閲覧。
- ^ 中村区制十五周年記念協賛会 1953, pp. 549–550.
参考文献
編集- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第41回』商業興信所、1933年。
- 中村区制十五周年記念協賛会 編『中村区史』中村区制十五周年記念協賛会、1953年。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
関連項目
編集