名古屋市立呼続小学校
名古屋市南区にある小学校
名古屋市立呼続小学校(なごやしりつ よびつぎしょうがっこう)は、愛知県名古屋市南区呼続四丁目にある公立小学校。
名古屋市立呼続小学校 | |
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北緯35度06分26秒 東経136度55分58秒 / 北緯35.10732857度 東経136.9329047度座標: 北緯35度06分26秒 東経136度55分58秒 / 北緯35.10732857度 東経136.9329047度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001636 |
所在地 | 〒457-0014 |
愛知県名古屋市南区呼続四丁目17-10 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集沿革
編集- 1873年(明治6年)10月15日 - 第2中学区第23番小学呼続学校として開校する。戸部村の長楽寺を仮校舎とする。
- 1876年(明治9年) - 第2中学区呼続学校に改称する。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 山崎村、戸部村、桜村、新屋敷村が合併し、千竈村が発足する。
- 1883年(明治16年) - 第28小学区呼続学校に改称する。校舎を新築し、移転する。
- 1887年(明治20年)4月 - 呼続学校と豊田学校が統合され、尋常小学千竈学校となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 豊田村と千竈村が合併し、呼続村となる。
- 1892年(明治25年)
- 7月10日 - 千竈尋常小学校に改称する。
- 10月 - 豊田尋常小学校を分離する。
- 1897年(明治30年)7月12日 - 呼続村が町制施行、呼続町となる。
- 1898年(明治31年)3月31日 - 呼続第一尋常小学校に改称する。
- 1903年(明治36年) - 現在地に校舎が完成する。
- 1905年(明治38年)4月1日 - 高等科を設置し、呼続尋常高等小学校に改称する。
- 1907年(明治40年)1月1日 - 呼続尋常小学校を統合する。
- 1912年(明治45年)2月1日 - 豊田尋常小学校を分離する。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 呼続町が名古屋市に編入され、名古屋市南区の一部となる。
- 1937年(昭和12年)4月 - 高等科を廃止し、呼続尋常小学校に改称する。
- 1939年(昭和14年)4月 - 桜尋常小学校を分離する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 呼続国民学校に改称する。
- 1944年(昭和19年)8月 - 東春日井郡小牧町、及び西春日井郡北里村に学童疎開する。
- 1945年(昭和20年) - 空襲により校舎を全焼する。桜国民学校の校舎を借りて授業を行う。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 名古屋市立呼続小学校に改称する。
- 1952年(昭和27年)3月23日 - 西分校を設置する。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 西分校が名古屋市立大磯小学校として独立する。
- 1962年(昭和37年) - 本館が完成する。
- 1972年(昭和47年) - 体育館が完成する。
- 1974年(昭和49年) - 新プールが完成する[2]。
- 1982年(昭和57年) - 西校舎が完成する。
- 1991年(平成3年) - 新しい給食調理所が完成する[2]。
- 1992年(平成4年) - 学校給食優良校文部大臣表彰を受ける[2]。
- 1999年(平成11年)- 本館の大規模改修工事を行う[2]。
交通アクセス
編集周辺施設
編集参考文献
編集- 名古屋市南区役所『区制七十周年記念 南区誌』1979年 pp.225-243