吉田達磨
吉田 達磨(よしだ たつま、1974年6月9日 - )は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。
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名前 | ||||||
カタカナ | ヨシダ タツマ | |||||
ラテン文字 | YOSHIDA Tatsuma | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年6月9日(50歳) | |||||
出身地 | 埼玉県三郷市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | 東海大学付属浦安高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1996 | 柏レイソル | |||||
1997-1998 | 京都パープルサンガ | 7 | (0) | |||
1999-2001 | モンテディオ山形 | 94 | (7) | |||
2002 | ジュロンFC | |||||
通算 | 101 | (7) | ||||
監督歴 | ||||||
2005, 2009 | 柏レイソルU-15 | |||||
2008 | 柏レイソルU-18 | |||||
2015 | 柏レイソル | |||||
2016 | アルビレックス新潟 | |||||
2017-2018 | ヴァンフォーレ甲府 | |||||
2019-2021 | シンガポール | |||||
2022 | ヴァンフォーレ甲府 | |||||
2023-2024 | 徳島ヴォルティス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集選手として
編集中学時代は日立製作所のジュニアユースに所属[1]。東海大学付属浦安高校を経て、1993年に日立の後身でもある柏レイソルに入団。1997年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、1999年にモンテディオ山形に移籍。山形在籍時の1999年11月21日に行われたJ2第36節(最終節)・大分トリニータ戦(大分陸)ではアディショナルタイムに大分のJ1昇格の夢を打ち砕くフリーキックを決めた。
2001年末をもって山形から戦力外通告を受ける。その前後から海外リーグ挑戦への希望があり、中華人民共和国やオーストラリアでのプレーを希望したが叶わず。シンガポールのジュロンFCで2試合に出場したが、同年末に現役を引退した[1]。
指導者として
編集引退後は柏の下部組織コーチに就任。U-15/U-18のコーチ・監督を経て2010年にはアカデミーダイレクターに就任[2]。この間、アカデミーの全カテゴリーで「自分たちがボールを保持する攻撃的なサッカー」という共通コンセプトを確立し、工藤壮人・武富孝介・酒井宏樹らの若手選手の発掘・育成に力を注いだ[3]。2012年にはトップチームの強化部ダイレクター(強化責任者)に就任する。
2015年、勇退を表明したネルシーニョの後任として柏レイソルトップチーム監督に就任。ACLでベスト8、天皇杯ではベスト4に進出するが、リーグ戦は第1ステージ14位と低迷し、10月28日、2年契約を1年残してシーズン限りでの解任が発表された[4][5]。
柏監督を退任後、2016年シーズンより柳下正明の後任としてアルビレックス新潟の監督に就任[6][7]。新潟では1stステージ13位、2ndステージ15位と共に低迷し、2ndステージ第13節の鹿島アントラーズ戦に敗れ、リーグ戦2度目の4連敗を喫したところで9月27日に監督を解任された[8][9][10]。
2017年シーズンよりヴァンフォーレ甲府の監督に就任[11]。長年「守備一辺倒」とも言われてきたチームを「ボールを保持するスタイル」に変革するべく取り組んだ[12]が、チームの成績は上がらずJ2降格。2018年シーズンは「1年でのJ1復帰」を宣言して臨んだ[13]が、11試合終了時点で2勝5分4敗・勝ち点11の16位に低迷し、直近の4戦が未勝利(3分1敗)となったことを受け、2018年4月30日付で監督を解任された[14]。監督解任は、3回連続となった。
2019年5月30日、シンガポール代表の監督への就任が発表された[15][16]。
2022年1月3日、2度目のヴァンフォーレ甲府の監督就任[17]。天皇杯ではJ1勢を破って決勝に駒を進め、サンフレッチェ広島との死闘の末クラブ初の三大タイトル優勝に導いたが、リーグ戦で18位と成績不振に陥りクラブ側から契約が更新されない旨を通告され1年で退任することになり事実上の解任となった[18]。
2023年8月22日、徳島ヴォルティスの新監督に就任することが発表された[19]。
2024年3月31日、成績不振により徳島ヴォルティスの監督を解任となった。
所属クラブ
編集- 東海大学付属浦安高等学校
- 1993年 - 1996年 柏レイソル
- 1997年 - 1998年 京都パープルサンガ
- 1999年 - 2001年 モンテディオ山形
- 2002年 ジュロンFC
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 柏 | 旧JFL1部 | |||||||||
1994 | 旧JFL | ||||||||||
1995 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1996 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | |||
1997 | 京都 | 23 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
1998 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
1999 | 山形 | 7 | J2 | 34 | 5 | 2 | 0 | 4 | 0 | 40 | 5 |
2000 | 36 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 40 | 2 | |||
2001 | 24 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 | |||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ジュロン | Sリーグ | |||||||||
通算 | 日本 | J | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | |
日本 | J2 | 94 | 7 | 6 | 0 | 6 | 0 | 106 | 7 | ||
日本 | 旧JFL | ||||||||||
シンガポール | Sリーグ | ||||||||||
総通算 |
指導歴
編集- 2002年 東海大学付属浦安高校サッカー部 臨時コーチ
- 2003年 - 2015年 柏レイソル
- 2003年 U-18 コーチ
- 2004年 U-15 コーチ
- 2005年 U-15 監督
- 2006年 U-18 コーチ
- 2007年 U-18 ヘッドコーチ
- 2008年 U-18 監督
- 2009年 U-15 監督
- 2010年 アカデミーダイレクター
- 2011年 強化本部長
- 2012年10月 強化部ダイレクター
- 2013年 - 2014年 ダイレクター
- 2015年 トップチーム 監督
- 2016年 - 2016年9月 アルビレックス新潟 監督
- 2017年 - 2018年4月 ヴァンフォーレ甲府 監督[11]
- 2019年5月 - 2021年 シンガポール代表 監督
- 2022年 ヴァンフォーレ甲府 監督
- 2023年8月 - 2024年3月 徳島ヴォルティス 監督
- 2024年7月 - 大田ハナシチズン コーチ
監督成績
編集年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | |||
2015 | J1 | 柏 | 10位 | 34 | 45 | 12 | 9 | 14 | ベスト8 | ベスト4 |
2016 | 新潟 | 15位 | 30 | 27 | 7 | 6 | 17 | 予選敗退 | - | |
2017 | 甲府 | 16位 | 34 | 32 | 7 | 11 | 16 | 予選敗退 | 2回戦敗退 | |
2018 | J2 | 16位 | 11 | 11 | 2 | 5 | 4 | - | - | |
2022 | 18位 | 42 | 48 | 11 | 15 | 16 | - | 優勝 | ||
2023 | 徳島 | 15位 | 11 | 16 | 4 | 4 | 3 | - | - | |
2024 | 20位 | 7 | 4 | 1 | 1 | 5 | 1回戦敗退 | - |
- 2016年・2018年・2024年は退任時点での成績。
- 2023年は8月より指揮。順位はシーズン最終順位。
タイトル
編集監督時代
編集- ヴァンフォーレ甲府
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 : 1回 (2022年)
脚注
編集- ^ a b “Jリーグキャリアサポートセンター”. 日本プロサッカーリーグ. 2006年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月21日閲覧。
- ^ 吉田達磨(インタビュアー:鈴木潤)「[柏レイソル 強化部新ダイレクターインタビュー]レイソルのサッカーを確立するために」『サッカーキング』、2012年11月21日 。2014年5月10日閲覧。
- ^ 鈴木潤 (2015年2月18日). “レイソルに浸透し出した吉田達磨イズム 国内外のタイトル獲得目指して好発進”. スポーツナビ. 2015年6月21日閲覧。
- ^ 『監督退任のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2015年10月28日 。2015年12月3日閲覧。
- ^ “【柏】吉田監督退任、契約1年残し事実上の解任 後任にメンデス氏有力”. スポーツ報知. (2015年10月29日) 2015年12月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『2016シーズン監督に 吉田 達磨氏 決定のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2015年12月2日 。2015年12月3日閲覧。
- ^ “新潟 柏・吉田達磨監督の来季監督就任を発表”. スポーツニッポン. (2015年12月2日) 2015年12月3日閲覧。
- ^ “吉田監督解任 後任は片渕コーチ”. 新潟日報. (2016年9月27日) 2016年9月27日閲覧。
- ^ “J1新潟が吉田達磨監督を解任 片渕浩一郎コーチが昇格 年間15位に低迷”. 産経新聞. (2016年9月27日) 2016年9月27日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. アルビレックス新潟 (2016年9月27日). 2016年9月27日閲覧。
- ^ a b “甲府、来季監督に吉田達磨氏が就任「大きな責任のある挑戦」”. スポニチアネックス. (2016年11月15日) 2016年11月15日閲覧。
- ^ 小宮良之 (2017年5月8日). “もう守るだけじゃない。ヴァンフォーレ甲府のサッカーが変わり始めた”. Sportiva. 集英社. 2018年5月1日閲覧。
- ^ “【甲府】吉田達磨監督インタビュー「1年でJ1復帰」宣言”. スポーツ報知. (2018年1月7日) 2018年5月2日閲覧。
- ^ 『吉田 達磨 監督 契約解除について』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2018年4月30日 。2018年4月30日閲覧。
- ^ “元J2甲府監督の吉田氏、シンガポール代表監督に正式決定”. スポーツニッポン (2018年5月27日). 2019年5月27日閲覧。
- ^ “吉田達磨氏、シンガポール代表監督に正式就任 「シンガポールサッカーの潜在能力を信じている」”. フットボールシンガポール. 2020年8月31日閲覧。
- ^ 『吉田 達磨氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2022年1月3日 。2022年1月3日閲覧。
- ^ “天皇杯VのJ2甲府が吉田監督の退任を発表 「勝利届けられないのは私の力不足」 - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年10月18日閲覧。
- ^ “トップチーム監督交代について”. 徳島ヴォルティス. 2023年8月22日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 吉田達磨 - Soccerway.com
- 吉田達磨 - FootballDatabase.eu
- 吉田達磨 - WorldFootball.net
- 吉田達磨 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 吉田達磨 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 吉田達磨 - J.League Data Siteによる選手データ
- 吉田達磨 - J.League Data Siteによる監督データ
- 吉田達磨 (@tatsuma0609) - X(旧Twitter)