吉澤純平
吉澤 純平(よしざわ じゅんぺい、1985年3月16日 - )は、競輪選手、元ショートトラック選手。競輪選手としては、日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第101期生。師匠は武田豊樹(88期)。
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
本名 |
吉澤 純平 よしざわ じゅんぺい | |||
生年月日 | 1985年3月16日(39歳) | |||
身長 | 169.9cm | |||
体重 | 74.9kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会 茨城支部 | |||
ホーム | 取手 | |||
期別 | 101期 | |||
脚質 | 両 | |||
登録地変遷 | ||||
2012- | 茨城 | |||
■最終更新日:2024年6月23日 ■テンプレートを表示 |
来歴
編集スピードスケート選手として
編集長野県南佐久郡南牧村出身。南牧村立南牧中学校、山梨学院大学附属高等学校、山梨学院大学を経て、とらふぐ亭に所属していた[1]。
ショートトラック競技で活躍し、2007年には全日本ショートトラック選手権で総合2位。2009年には全日本ショートトラック距離別選手権500mで1位、全日本ショートトラック選手権で総合3位。2010年のバンクーバーオリンピックでは、1500mで18位、500mで14位の成績を収めた。
競輪選手として
編集2011年1月14日、競輪学校第101回生入学試験に合格[2]。在校成績は第4位(21勝)[3]。2012年7月13日に松戸競輪場でデビューし2着、翌14日に初勝利[4]。同年11月21日の宇都宮競輪場でA級チャレンジ3場所連続完全優勝を果たし、A級2班に特別昇級した[5]。
2013年のルーキーチャンピオンレース(川崎競輪場)で優勝。特別競輪では、2018年の全日本選抜競輪(四日市競輪場)でGI初優出(8着)[6]。G3競走では、2016年の豊橋記念優勝以後、2022年の取手記念まで4勝を記録[7][8]。2023年には通算300勝を達成している[9]。
特徴
編集関東ラインの先頭で貢献を続けてきた自力型だが、若手自力選手の台頭もあり番手を回る機会も増えている[10]。また、落車や負傷での離脱が多く、過去にはアキレス腱断裂や頭蓋骨骨折などの大怪我も経験している[11]。
脚注
編集- ^ “〈直前特集:上〉会社・家族に支えられ 吉沢純平(ショートトラック)”. 朝日新聞. (2010年2月11日) 2024年6月23日閲覧。
- ^ 日本競輪学校第101回生徒一般入学試験合格者の発表について - KEIRIN.JP 2011年1月14日付記事
- ^ 競走成績戦法別一覧表 (PDF) - KEIRIN.JP
- ^ 2012/07/14(2日目)第5レースA級チャレンジ準決勝 - KEIRIN.JP
- ^ 吉澤純平選手 A級2班特別昇班について - KEIRIN.JP
- ^ 『第33回読売新聞社杯全日本選抜競輪(GI)』 決勝戦共同インタビュー - KEIRIN.JP
- ^ “【競輪】吉沢純平が記念初V”. デイリースポーツ. (2016年8月28日) 2024年6月23日閲覧。
- ^ “【取手記念】吉沢 4度目のG3制覇!ラインに感謝の地元記念2勝目”. スポーツニッポン. (2022年6月8日) 2024年6月23日閲覧。
- ^ “吉沢純平が準決で鋭伸!通算300勝 「流れに乗れている」決勝も激戦の隙を突けるか/高知G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年2月25日) 2023年2月26日閲覧。
- ^ “水戸黄門賞に出場する吉澤純平選手を解説!”. netkeirin (2022年6月2日). 2023年2月26日閲覧。
- ^ ““不死鳥”と呼ばれたレジェンドを彷彿させる吉澤純平に期待”. netkeirin (2021年8月4日). 2023年2月26日閲覧。
外部リンク
編集- 選手プロフィール - KEIRIN.JP
- バンクーバーオリンピック選手名鑑
- ブルータグ No.0067
- 吉澤純平 - Olympedia