吉島辰寧
吉島 辰寧(よしじま ときやす、1844年3月20日〈天保15年2月2日〉 – 1900年〈明治33年〉3月29日)は、大日本帝国海軍軍人、最終階級は海軍少将[1]。

生涯
編集天保15年2月2日、肥前国に生まれた。明治3年、二等士官となり日進乗組に補される。以後累進して、1881年(明治14年)11月17日、海軍少佐となり摂津艦艦長等を経る。1886年(明治19年)4月7日、海軍中佐となると、浅間艦長、龍驤艦長、比叡艦長を歴任した。1890年(明治23年) 9月17日、海軍大佐に昇進し、海軍兵学校次長、海軍省第一局第一課長、高千穂艦長、呉鎮守府参謀長などを務める。1893年(明治26年) 5月26日、予備役となったが、翌年の7月21日から海軍兵学校の校長職に就き、1895年(明治28年)7月25日、海軍少将に任官された。1900年(明治33年)3月29日に死去し、同日付けで従四位に昇叙。