吉備町 (岡山県)

日本の岡山県都窪郡にあった町

吉備町(きびちょう)は、かつて岡山県都窪郡にあったである。吉備町のあった地域の現況については吉備地域参照。

きびちょう
吉備町
旧・都窪郡吉備町役場
旧・都窪郡吉備町役場
灘崎町章
廃止日 1971年3月8日
廃止理由 編入合併
吉備町妹尾町福田村 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
都窪郡
市町村コード 33421-9
面積 10.81 km2
総人口 10,957
国勢調査1970年
隣接自治体 岡山市、都窪郡妹尾町、福田村、庄村、早島町
吉備町役場
所在地 701-0153
岡山県都窪郡吉備町庭瀬414番地
座標 北緯34度38分47秒 東経133度50分50秒 / 北緯34.64639度 東経133.84731度 / 34.64639; 133.84731 (吉備町)座標: 北緯34度38分47秒 東経133度50分50秒 / 北緯34.64639度 東経133.84731度 / 34.64639; 133.84731 (吉備町)
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歴史

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吉備地域は古くは備中国に属し、庭瀬は賀陽郡に、撫川は都宇郡にそれぞれ属していた。1600年慶長5年)の関ヶ原の戦いの功によって戸川達安庭瀬藩初代藩主となり、この地を支配するようになった。1699年元禄12年)、藩主が板倉氏になり明治維新に至った。

1871年廃藩置県により庭瀬藩は庭瀬県となった。その後、深津県・小田県を経て岡山県に編入された。

1889年町村制施行により庭瀬村と撫川村が発足し、後にそれぞれ町制施行した。1937年には両町が合併し吉備町となり、都窪郡に属した。

1971年3月8日、吉備町は岡山市に編入合併され、町制時の10大字(庭瀬、平野、延友、西花尻、東花尻、川入、下撫川、大内田、中撫川、日畑東組)のうち下撫川は撫川と、日畑東組は納所と改称して他の8大字とともに同市の大字に継承された。

合併以降は吉備地域#歴史参照

沿革

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  • 1871年明治4年)7月14日 廃藩置県により、庭瀬藩が庭瀬県となる。
  • 1871年(明治4年)11月15日 庭瀬県他11県が合併し、深津県(後の小田県)を新設。
  • 1875年(明治8年)12月10日 小田県が岡山県に編入合併したため、岡山県の管轄下となる。
  • 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行。
    • 賀陽郡庭瀬村・平野村・延友村・西花尻村・東花尻村・川入村が合併して賀陽郡(のち吉備郡)庭瀬村が発足。
    • 都宇郡下撫川村・大内田村・中撫川村・日畑村東組が合併し、都宇郡(のち都窪郡)撫川村が発足。
  • 1891年(明治24年)4月25日 山陽鉄道庭瀬駅開業。
  • 1901年(明治34年)2月6日 吉備郡庭瀬村が町制施行し、庭瀬町となる。
  • 1904年(明治37年)6月1日 都窪郡撫川村が町制施行し、撫川町となる。
  • 1937年昭和12年)5月5日 都窪郡撫川町と吉備郡庭瀬町が合併し、吉備町が発足。
  • 1938年(昭和13年)8月 吉備町役場(2016年までの吉備地域センター)の木造部分が建築される。
  • 1966年(昭和41年)2月 吉備町役場の鉄骨部分が増築される。
  • 1971年(昭和46年)3月8日 吉備町が岡山市に編入される。

人口

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1920年(大正9年) 6,561人
1925年(大正14年) 6,720人
1930年(昭和5年) 6,755人
1935年(昭和10年) 7,005人
1940年(昭和15年) 6,817人
1947年(昭和22年) 8,255人
1950年(昭和25年) 8,435人
1955年(昭和30年) 8,312人
1960年(昭和35年) 8,236人
1965年(昭和40年) 8,672人
1970年(昭和45年) 10,957人
総務省統計局 / 国勢調査1970年

施設

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教育

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交通

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鉄道

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道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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出身有名人

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参考文献

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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