各務村
日本の岐阜県稲葉郡にあった村
かかみむら 各務村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
合併 鵜沼町・各務村 → 鵜沼町 |
現在の自治体 | 各務原市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 17.91 km2. |
総人口 |
4,191人 (各務の歴史、1954年) |
隣接自治体 | 岐阜市、関市、稲葉郡 鵜沼町、蘇原町 |
各務村役場 | |
所在地 |
岐阜県稲葉郡各務村字各務1183-1 現在の各務原市各務おがせ町5丁目2-2(現・各務福祉センター) |
座標 | 北緯35度25分02秒 東経136度54分15秒 / 北緯35.41725度 東経136.90406度座標: 北緯35度25分02秒 東経136度54分15秒 / 北緯35.41725度 東経136.90406度 |
ウィキプロジェクト |
合併して稲葉郡鵜沼町になり、現在は各務原市の北部・中部である。現在の地名は、各務、各務おがせ町、各務西町、各務東町、各務船山町、各務山の前町、蘇原新生町、蘇原中央町、鵜沼各務原町などである[1]。かつての村役場は現在の各務原市各務福祉センターである。
村名は、古代からのこの地の地名に由来する。『各務村史』によれば、古代に鏡作部(かがみつくりべ、銅鏡などの鏡を作る特殊技能集団)がいたことからという(別説もある)。
地理
編集北西の船山、北の御坊山、北東の北山、南東の愛宕山に囲まれ、中央の低地を境川が流れている。中山道が通っていて、苧ヶ瀬池や郷戸池などの溜池が多い。
歴史
編集- 1601年(慶長6年) - 菅沼定仍(伊勢長島藩)領となる[1]。
- 1621年(元和7年) - 天領となる[1]。
- 1832年(天保3年) - 各務郡の天領の中で、御膳籾111石余り、御廻籾4石余りと最も高い賦課が行われていた[2]。
- 1645年(正保期) - 石高が1529.955石[3]。
- 1834年(天保5年) - 石高が1558.693石[4]。
- 明治初期 - 各務村の集落(約20)を3つの集落(上組・中組・下組)にまとめる。後に松連・竹連・梅連に変更されるが、名称の問題でもめたため、東組(東洞、西洞、木戸、山之前)、中組(北島、宮之前、城之屋敷、会津、池端)、西組(南温井、北温井、国庄、金山、駒場)とする[5]。
- 1876年(明治9年) - 鵜沼村と合わせて大区が1、小区が15[6]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により成立。
- 1897年(明治30年)4月1日[7] - 各務郡、厚見郡、方県郡(一部)が合併し、稲葉郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 旧来の各務村と陶器所村から変わった須衛村が合併し発足。旧来の各務村の東組、中組、西組を合併し各務区、旧来の須衛村を須衛区とする[5]。
- 1923年(大正12年)4月3日 - 現在の各務おがせ町5丁目に村役場ができる。南に玄関、東に納屋と駐在所があった。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 稲葉郡鵜沼町と合併し、改めて鵜沼町が発足。同日各務村廃止。
小・中学校
編集- 各務村立各務小学校 (現・各務原市立各務小学校)
- 各務村立各務中学校 (1961年に鵜沼町立鵜沼中学校に統合。現・各務原市立鵜沼中学校)
交通機関
編集観光地
編集脚注
編集参考文献
編集- 白木林一 編『各務村史』各務原村史編纂委員会、1963年。