古市胤家
古市 胤家(ふるいち たねいえ)は、江戸時代前期の武士。通称五左衛門。古市氏の古市城主であった古市澄胤の末裔である。近衛信尹に仕え、内史に任ぜられた後、左親衛に転じて朝散大夫の位を叙されている。藤堂高次に仕えた後に浪人となり加賀国に来往した。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 明暦3年3月27日(1657年5月10日) |
別名 | 五左衛門 |
戒名 | 源光院清月日浄居士 |
官位 | 従五品下(朝散大夫) |
主君 | 近衛信尹 → 藤堂高次 → 前田利常 |
藩 | 伊勢津藩 → 加賀藩 |
氏族 | 古市氏 |
父母 |
父:胤勝 母:箸尾宮内大輔為春子女 |
兄弟 | 赤井権左衛門、赤井直重 |
妻 | 赤井弥七郎子女 |
子 | 胤光(発心院)、胤重(左近)、胤宗(務本) |
生涯
編集1585年(天正13年)3月、大和国の駒崎城主であった父の古市胤勝は、豊臣秀長が豊臣秀吉より同国の所領を与えられたときに退城しており、その後の記録は見つかっていない[1]。
息子である胤家は、大叔父である近衛信尹に仕え内史に任ぜられる[2][3]。さらに左親衛に転じて従五品下(朝散大夫)の位を叙されている。伊勢津藩の第2代藩主となる藤堂高次に奉仕していたとき、三男の胤宗(務本)が誕生する。