南部広信
南部 広信(なんぶ ひろのぶ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国八戸藩の第4代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永6年3月7日(1709年4月16日) |
死没 | 寛保元年5月2日(1741年6月14日) |
改名 | 宮内(幼名)、広信 |
墓所 | 東京都港区芝の金地院 |
官位 | 従五位下甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 陸奥八戸藩主 |
氏族 | 南部氏 |
父母 | 父:南部通信、母:桂七郎大夫の妹 |
妻 | 正室:松平信庸の娘・秀子 |
子 | 信興、信之ら |
略歴
編集第3代藩主・南部通信の長男として誕生。母は桂七郎大夫の妹。幼名は宮内。
享保元年(1716年)、父の死去により跡を継いだ。藩政においては検地を行なったり、八戸三社大祭の基礎を作ったりした。また、家老の中里幸生に命じて「南部中興記三冊」や「南部家譜一冊」を編纂させている。
しかしその治世期に凶作が33度にわたって発生するなど、治世は多難を極めた。寛保元年(1741年)5月2日、33歳で死去し、跡を嫡男・信興が継いだ。墓所は東京都港区芝の金地院。
系譜
編集父母
正室
- 秀子 ー 松平信庸の娘
子女