千歳丸 (久留米藩)
千歳丸(せんざいまる)は、幕末に久留米藩が保有した蒸気船。日本最初の観艦式に参列した艦船の一隻[1]。
前身は、1867年にイギリスのグラスゴーで建造された商船「コケット」(Coquette)である。1867年12月頃(慶応3年11月)に久留米藩がアメリカ人商人ウォールスから長崎で購入、筑後川の旧称である千歳川にちなんで「千歳丸」と改名した。当時、久留米藩は洋式艦船の取得を急速に進めており、本艦はその7隻目であった。木造の2本マスト・1本煙突の蒸気船で、要目は全長126尺(38.2m)・甲板幅26尺(7.9m)・深さ14尺(4.2m)・トン数459トン(1800石積み)、乗員50人。武装としてフレッチレー12斤砲2門と同9斤砲4門、小銃30丁を備えていた[2]。
戊辰戦争が勃発すると、久留米藩は明治政府方についたため、「千歳丸」も明治政府方で従軍した。慶応4年3月26日(1868年4月18日)、天保山沖観艦式に参加[3]。
明治維新後は久留米県所管の公船になっていたが、1871年(明治4年)に「青龍丸」と改称[4]、県内の商人への商船としての払い下げが届け出られている[5]。
その後日本国蒸気船会社、郵便汽船三菱会社(のち、合併により日本郵船)、敦賀貿易汽船などの所有となり、1912年に塩屋合名会社に売却された[6]。1913年3月16日、柏崎海岸で座礁し沈没した[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 海軍歴史保存会(編)『日本海軍史 第1巻 通史第一・二編』海軍歴史保存会、1995年
- 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
関連項目
編集- 雄飛丸 - 久留米藩で最初の洋式船。