千坂長朝
千坂 長朝(ちさか ながとも)は、江戸時代の武士。上杉氏重臣の千坂景親の次男。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛永16年11月25日(1639年12月19日) |
別名 | 与一 |
戒名 | 善智院帰山玄道居士 |
墓所 | 一花院 |
官位 | 対馬守 |
主君 | 景勝→定勝 |
藩 | 出羽米沢藩 |
氏族 | 千坂氏 |
父母 | 父:千坂景親、母:戸倉氏女 |
経歴
編集慶長3年(1598年)3月6日越後より会津に移り二千石賜る。米沢に国替えした際、440石賜る。
慶長7年(1602年)2月 直江兼続の呼びかけで亀岡文殊堂にて行われた詩歌会亀岡百首に参加。四首奉納[1]。
上杉定勝の代に入り侍組、対馬守に改める。
寛永12年(1635年)12月24日公命を背き改易。寛永16年(1639年)11月25日死去[2]。
脚注
編集出典
編集- 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜(1)」』(経歴)
- 『上杉家御年譜20』