千坂興高
千坂 興高(ちさか おきたか)は、江戸時代後期の米沢藩の江戸家老・奉行。戊辰戦争当時の米沢藩奉行・軍務総督千坂高雅の祖父。
時代 | 江戸時代 |
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死没 | 天保5年7月22日(1834年8月26日) |
別名 | 己五郎、太郎左衛門 |
戒名 | 宝乗院殿秀群日了居士 |
墓所 | 日朝寺 |
主君 | 上杉治広→上杉斉定 |
藩 | 米沢藩 江戸家老・奉行 |
氏族 | 千坂氏 |
父母 | 父:千坂清高 母:芋川正令の娘 |
兄弟 | 高容、興高 |
妻 | 深津昌郷の娘、竹俣権左衛門の娘 |
子 | 千坂高明 |
経歴
編集文化2年(1805年)7月8日兄千坂高容の病気致仕により、家督相続。侍組。
文化9年(1812年)2月23日侍頭。
文化13年(1816年)11月8日江戸家老、侍頭兼帯。
文政6年(1823年)12月19日奉行。
天保2年(1831年)1月11日、上杉治広・上杉顕孝の「御年譜」完成に付き、藩主から、担当した千坂興高並びに御記録方に賞賜[1]。
天保5年(1834年)7月死去。
脚注
編集- ^ 『上杉家御年譜14』P262
出典
編集- 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜」』米沢温故会 1986.1(経歴)
- 『上杉家御年譜14(斉定公2)』米沢温故会 1981.7