北饗庭駅
滋賀県高島郡新旭町にあった江若鉄道の駅
北饗庭駅(きたあいばえき)は、かつて滋賀県高島郡新旭町大字饗庭(現在の高島市新旭町饗庭[1])にあった江若鉄道の駅(廃駅)。
北饗庭駅 | |
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きたあいば KITAAIBA | |
◄饗庭 (1.8 km) (2.5 km) 近江今津► | |
所在地 |
滋賀県高島郡新旭町大字饗庭 (現・高島市新旭町饗庭[1]) |
所属事業者 | 江若鉄道 |
所属路線 | 江若鉄道線 |
キロ程 | 48.5 km(浜大津起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1932年(昭和7年)4月1日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)11月1日 |
歴史
編集江若鉄道の最後の延伸区間として1931年(昭和6年)に安曇 - 近江今津間が開業した際、新儀 - 近江今津間に設置された饗庭駅は用地の問題もあって両駅の中間地点より南(新儀寄り)にずれた位置に設けられた[2]。このため饗庭 - 近江今津間に位置する饗庭村の岡・
江若鉄道は1969年(昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[3]、当駅も翌11月1日に廃止された[4]。
年表
編集駅構造
編集← 饗庭 |
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→ 近江今津 |
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凡例 出典:[5] |
北饗庭駅は旅客の乗降のみを扱う旅客駅で[6]、ホームは線路の片側(近江今津方面に向かって左側)に1面のみ(単式ホーム)[7][8]。ホームには瓦葺きの待合室が設置されていた[1]。当初より駅員は配置されていない無人駅である[1][9]。
利用状況
編集初期の年間乗降客数の状況は以下の通り。
年間乗降客数の推移 | |||
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年 | 旅客 | 出典 | |
乗車 | 降車 | ||
1934年 | 4,132人 | 4,380人 | [10] |
1935年 | 4,842人 | 5,155人 | [11] |
1936年 | 6,229人 | 6,533人 | [12] |
駅周辺
編集駅は田園地帯の中にあった[8]。ただ、近くを旧国道が通っていたため利用する住民は多かった[13]。
駅があった場所は旧国道と国道161号が交わる饗庭交差点のやや南に相当する[1]。当駅付近の線路跡については、江若鉄道の廃線後に開業した湖西線の線路の東側に一般道としてわずかに残されている区間があるものの、それ以外はおおむね湖西線に取り込まれている[14]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 江若鉄道の思い出, p. 114.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 110.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
- ^ a b c 今尾 2008, pp. 31–32.
- ^ 竹内 1967.
- ^ 寺田 2010, p. 10.
- ^ レイル, p. 81.
- ^ a b レイル, p. 85.
- ^ 寺田 2010, p. 15.
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ ありし日の江若鉄道, p. 25.
- ^ 吉田 1998, p. 195.
参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 大津市歴史博物館 編『企画展 ありし日の江若鉄道 ―大津・湖西を結ぶ鉄路(みち)―』大津市歴史博物館、2006年。
- 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2。
- 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519。)
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 吉田恭一『地形図で辿る廃線跡 古地図とともにいまはなき鉄道を歩く』心交社、1998年。ISBN 4-88302-345-1。
- 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3。