北鈴川駅
北海道虻田郡に存在した胆振線の廃駅
北鈴川駅(きたすずかわえき)は、かつて北海道(後志支庁)虻田郡喜茂別町字鈴川に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はキス。事務管理コードは▲131909[3]。
北鈴川駅 | |
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きたすずかわ Kita-Suzukawa | |
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所在地 | 北海道虻田郡喜茂別町字鈴川 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 53.5 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | キス |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1941年(昭和16年)10月12日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅[1] |
歴史
編集- 1941年(昭和16年)10月12日 - 胆振縦貫鉄道徳舜瞥駅(後の新大滝駅) - 西喜茂別駅(後の喜茂別駅)間の延伸開通に伴い、開業。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され、路線名を胆振線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][4]。無人駅となる[5](簡易委託化[6])。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
編集もともと同地は上尻別と呼ばれていたが、「鉄道建設の時付近一帯にスズランがあった[7]」ことと、当地に1902年(明治35年)に入植した南部出身の鈴木与助の名前から「鈴」、尻別川から「川」をとり「鈴川」とし[7][8]、すでに静岡県の東海道本線に鈴川駅(現:吉原駅)があるため「北」を冠した[7]。
駅構造
編集廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した[9]。転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった南側の1線は交換設備運用廃止後に線路、ホーム共に撤去されていた[9]。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は一部改修され、正面の事務室部分の窓は塞がれていた[9]。駅舎は構内の北側に位置し、ホームから少し離れていた[9]。
利用状況
編集- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は47人[9]。
駅周辺
編集駅跡
編集2001年(平成13年)時点では駅跡地に新しい住宅が建築されており[11]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[12]。公営住宅の敷地になっている。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 「日本国有鉄道公示第109号」『官報』1986年10月14日。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第383号」『官報』1971年9月30日。
- ^ 「通報 ●胆振線蟠渓駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年9月30日、11面。
- ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月6日、1面。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、80頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 147. ISBN 4893637606. OCLC 40491505
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)93ページより。
- ^ a b c d 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)7ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)70ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)154ページより。