北港鎮
別称: 笨港 | |
地理 | |
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位置 |
北緯23°35' 東経120°20' |
面積: | 41.4999 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 北港 |
日本語読み: | ほっこう |
拼音: | Běigǎng |
注音符号: | ㄅㄟˇㄍㄤˇ |
片仮名転写: | ベイガン |
台湾語: | Pak-káng |
客家語: | Pet-kóng |
行政 | |
行政区分: | 鎮 |
上位行政区画: | 雲林県 |
下位行政区画: | 28里408鄰 |
北港鎮長: | 張勝智 |
公式サイト: | 北港鎮公所 |
情報 | |
総人口: | 40,988 人(2016年1月) |
世帯数: | 15,886 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 651 |
市外局番: | 05 |
北港鎮の木: | - |
北港鎮の花: | - |
北港鎮の鳥: | - |
1694年に台湾の媽祖廟の総本山といわれる北港朝天宮が建立されて以来、門前町として栄えてきた。日本統治時代、日光に擬えて「台湾の日光」と呼ばれることがあった。
地理
編集歴史
編集北港鎮は旧称を「笨港」と称した。1683年(康熙22年)より福建沿海からの移民が入植し、また公館を設けて租税を徴収するようになった。1731年(雍正9年)には笨港鎮丞を設置し入津する船舶の管理を行なっていた。乾隆初年には釐金局が設置されると、この地域には街区が設置されるようになった。1893年(光緒23年)に台中県北港弁務が設置されるなど、清代を通じて繁栄した地域となっていた。日本統治時代は幾度かの行政改革が加えられた結果、台南州北港郡北港街となったが、戦後の1946年1月19日に廃止され、代わって台南県北港区北港鎮が設置された。1950年10月の地方行政区改革に伴い区が廃止され、北港鎮と改められ雲林県に帰属するようになり現在に至っている。
経済
編集行政区
編集里 |
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大北里、大同里、中和里、仁安里、仁和里、公館里、水埔里、光民里、光復里、東陽里、東華里、南安里、義民里、共栄里、賜福里、華勝里、新街里、劉厝里、後溝里、新厝里、府番里、草湖里、溝皂里、番溝里、好収里、樹脚里、扶朝里、西勢里 |
歴代鎮長
編集代 | 氏名 | 所属政党 |
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初代 | 陳向陽 | 無所属 |
第2代 | 陳向陽 | 無所属 |
第3代 | 陳向陽 | 無所属 |
第4代 | 蔡科 | 無所属 |
第5代 | 許禛興 | 無所属 |
第6代 | 王應東 | 無所属 |
第7代 | 許禛興 | 無所属 |
第8代 | 丁鎮民 | 無所属 |
第9代 | 許石井 | 無所属 |
第10代 | 許石井 | 無所属 |
第11代 | 詹春泉 | |
第12代 | 蘇晉卿 | 中国国民党 |
第13代 | 蘇晉卿 | 中国国民党 |
第14代 | 徐忠徹 | 中国国民党 |
第15代 | 徐忠徹 | 中国国民党 |
第16代 | 蕭永義 | 無所属 |
第17代 | 張勝智 | 民主進歩党 |
教育
編集大学
編集高級中学
編集高級職校
編集国民中学
編集国民小学
編集交通
編集種別 | 運營事業者 | 系統 | 行先 | 備考 |
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バス | 嘉義客運 | 7201 | 嘉義-北港 | 月眉経由 |
バス | 嘉義客運 | 7202 | 嘉義-北港 | 民雄経由 |
バス | 嘉義客運 | 7235 | 高鉄嘉義站-北港 | 故宮南院経由 |
バス | 嘉義客運 | 7218 | 北港-土庫 | 客子厝(セキ)経由 |
バス | 嘉義客運 | 7219 | 北港-土庫 | 内寮経由 |
バス | 嘉義客運 | 7220 | 北港-東勢厝 | 渓底経由 |
バス | 嘉義客運 | 7221 | 北港-台西 | 三條崙経由 |
バス | 嘉義客運 | 7222 | 北港-三條崙 | 箔子寮経由 |
バス | 嘉義客運 | 7223 | 北港-金湖 | |
バス | 嘉義客運 | 7224 | 北港-宜梧 | |
バス | 嘉義客運 | 7226 | 朴子-北港 | 雙渓口経由 |
バス | 嘉義客運 | 7231 | 朴子-北港 | 六脚経由 |
省道 | なし | なし | 台19線 |