北深志
北深志(きたふかし)は長野県松本市の地名。現行行政地名は北深志1丁目から北深志3丁目。住居表示実施済み[4]。郵便番号は390-0872[2]。
北深志 | |
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北緯36度14分42.2秒 東経137度58分27.2秒 / 北緯36.245056度 東経137.974222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 長野県 |
市町村 | 松本市 |
標高 | 604 m |
人口 | |
• 合計 | 1,657人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
390-0872[2] |
市外局番 | 0263 (松本MA)[3] |
ナンバープレート | 松本 |
※座標は松本北深志郵便局付近 |
地理
編集歴史
編集江戸時代当時は松本城下の外れにあり、御徒士(おかち)町を境に武家屋敷と町家に分かれていた。松本城から放射線状に見て、田町まではいわゆる騎馬武士の、御徒町は名の通り徒士の屋敷があった場所だといわれている。北国西街道が通っていたため人通りが多く北の入り口には番所が置かれていた。
明治になり松本町は武家の「松本北深志町」と町人の「松本南深志町」に分かれた。やがて市制施行した頃には北深志町の部分は大字北深志に、南深志町の部分は大字南深志になった。しかし、戦後になり松本市街地に住居表示が導入され、そのための町丁設定が行われると、このあたりが住居表示実施区域の「北深志」に指定されて北深志の行政地名は残ったのに対し、南深志は「深志」や「中央」といった地名に改められている。俗称地名では新町、西町、萩町、安原町、田町、御徒町、天白町などが該当する。
1994年には松本サリン事件が発生し[5]、市民に甚大な被害をひき起こした。
沿革
編集世帯数と人口
編集2018年(平成30年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
北深志1丁目 | 364世帯 | 742人 |
北深志2丁目 | 185世帯 | 414人 |
北深志3丁目 | 226世帯 | 501人 |
計 | 775世帯 | 1,657人 |
小・中学校の学区
編集町会名 | 小学校 | 中学校 | |
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1丁目 | 袋町の一部 安原町の一部 新町 |
松本市立旭町小学校 | 松本市立旭町中学校 |
上記以外 | 松本市立開智小学校 | ||
2丁目 | 徒士町の一部 | 松本市立開智小学校 | |
上記以外 | 松本市立旭町小学校 | ||
3丁目 | 松本市立旭町小学校 |
交通
編集施設
編集- 新町公民館
- 松本北深志郵便局
- 康花美術館
- 稲荷大明神
- 天白神社
脚注
編集- ^ a b “松本市の人口 - 世帯数大字町丁別人口・世帯数 - 月次別 最新”. 松本市 (2018年10月1日). 2018年10月8日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年9月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年9月26日閲覧。
- ^ a b 住居表示実施状況 - 松本市 (2016年2月10日). 2018年10月8日閲覧 (PDF)
- ^ “松本サリン事件きょう20年 近く被害状況報告書”. 産経新聞 (2014年6月27日). 2014年12月25日閲覧。
- ^ 松本市立小学校通学区域指定表 (PDF) - 松本市
- ^ 松本市立中学校通学区域指定表 (PDF) - 松本市