北横町 (弘前市)
青森県弘前市の町
北横町(きたよこちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8046。2017年6月1日現在の人口は253人、世帯数は122世帯[1]。
北横町 | |
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北緯40度36分35.45秒 東経140度28分40.89秒 / 北緯40.6098472度 東経140.4780250度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 253人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8046 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
地理
編集歴史
編集- 延宝5年 - 東長町七丁目・八丁目間(現:和徳町)を境に北は東長町北横町、そして南は東長町南横町(現:南横町)として町割りがされ、当地を指す東長町北横町は屋敷41(弘前惣御絵図)。
- 宝永4年 - 郭内武家屋敷の郭外移転により、改めて屋敷割りが行われ、同時に当地から八幡宮まで現在の田町が成立(平山日記)。
- 宝暦6年 - 町屋が91軒(弘前町惣屋鋪改大帳)。
- 文政年間 - 当地は一丁目から四丁目に分かれて構成され、すべて町屋(和徳町絵図)。
- 天保8年 - 町屋が96軒(弘前絵図)。
- 幕末 - 町屋と武家屋敷の入り交じった町となる。
- 1897年(明治30年) - 陸軍第8師団の設置に伴い、北川端町にあった遊廓が当地に移転。当時当地の西南(現:和徳町)に和徳小学校があり、学区民の反対運動があったが、和徳小学校が現在の代官町に移転したことにより、遊廓は当地から移転することなく、当地は弘前を代表する遊廓地となる。
- 1927年(昭和2年) - 当地の遊廓から出火した火災が和徳町・南横町・萱町・植田町・代官町まで燃え広がり、438戸を焼く大火となる。
- 1957年(昭和32年) - 売春防止法が施行されたことにより、遊廓は旅館になる。
- 現在 - その他に残っていた遊廓の建物も、現在までに姿を消し、工場、商社のビルが建ち、著しく変化。
沿革
編集施設
編集医療
編集- あづま内科(閉院)
- 三上内科医院
- ほくおう歯科医院
福祉
編集- 社会福祉法人弘前草右会
商業
編集- 木村建具製作所
公共
編集- 北横町会館
- 土淵川北横町緑地
その他
編集- 天理教弘森分教会
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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北横町 | 全域 | 弘前市立和徳小学校 | 弘前市立第一中学校 |
交通
編集- 弘南バス
- 横町入口(弘前 - 五所川原線 復路)停留所。
- 横町入口、健生病院前(弘前バスターミナル - 神田線、小栗山 - 清原・安原 - 神田線)停留所。
脚注
編集- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
編集角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)