北村恭二
日本の大蔵官僚。証券局長
北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2023年5月15日)は日本の大蔵官僚。大臣官房総務審議官、証券局長、大阪証券取引所理事長などを歴任。
来歴
編集長野県長野市出身[1]。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1956年入省同期に小粥正巳(日本経済研究所会長、初代日本政投銀総裁、日本開銀総裁、公正取引委員会委員長、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、秦郁彦(歴史研究者)らがいた。
1963年7月 館林税務署長。1980年6月 銀行局総務課長。1981年6月 東海財務局長。1982年6月 大臣官房審議官(理財局担当)。1983年6月 銀行局検査部長。1984年6月27日 大臣官房総務審議官。1986年6月10日 証券局長。1987年6月23日 退官。1994年6月 大阪証券取引所理事長(〜2000年6月)[2]。その後は大阪商工会議所名誉議員[3]。2014年、瑞宝中綬章受章[4]。
職歴
編集- 1956年4月:大蔵省入省(大臣官房文書課)。
- 1958年6月:東北財務局理財部。
- 1959年6月:大阪国税局調査査察部。
- 1960年9月:経済企画庁調整局財政金融課専門調査員[7]。
- 1963年7月:館林税務署長。
- 1964年7月:国税庁長官官房総務課長補佐。
- 1966年8月:銀行局中小金融課長補佐。
- 1968年7月:銀行局金融制度調査官付課長補佐(総括)[8]。
- 1970年7月:経済企画庁長官官房企画課長補佐[9]。
- 1971年7月:大臣官房文書課長補佐(総括・審査)[10]。
- 1973年7月:大阪国税局調査部長。
- 1974年7月:銀行局金融制度調査官。
- 1976年6月:国税庁直税部法人税課長。
- 1978年6月:理財局国債課長。
- 1980年6月:銀行局総務課長。
- 1981年6月:東海財務局長。
- 1982年6月:大臣官房審議官(理財局担当)。
- 1983年6月:銀行局検査部長。
- 1984年6月27日:大臣官房総務審議官。
- 1986年6月10日:証券局長。
- 1987年6月23日:退官。
- 2001年6月:カプコン社外取締役就任。
- 2007年6月:カプコン社外取締役退任。
脚注
編集- ^ 『日本の官庁,その人と組織:大蔵省,経済企画庁』政策時報社、1991年発行、567頁
- ^ 『官界,第5~8号』行政問題研究所、2000年発行、161頁
- ^ 名誉議員名簿 2021/9/7作成(PDF)
- ^ 『官報』号外、平成26年11月4日
- ^ “北村恭二氏死去(元大阪証券取引所理事長、元大蔵省証券局長)”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2023年5月23日). 2023年5月23日閲覧。
- ^ 『官報』第1000号9頁 令和5年6月16日
- ^ 『職員録 昭和38年版 上巻』大蔵省印刷局、1963年1月発行、155頁
- ^ 『職員録 昭和45年版 上巻』大蔵省印刷局、1969年発行、463頁
- ^ 『職員録 昭和46年版 上巻』大蔵省印刷局、1970年発行、196頁
- ^ 『職員録 昭和48年版 上巻』大蔵省印刷局、1972年発行、482頁
官職 | ||
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先代 岸田俊輔 |
大蔵省証券局長 1986年 - 1987年 |
次代 藤田恒郎 |
先代 吉田正輝 |
大蔵省大臣官房総務審議官 1984年 - 1986年 |
次代 足立和基 |
先代 吉居時哉 |
大蔵省銀行局検査部長 1983年 - 1984年 |
次代 足立和基 |
先代 岡上泉 |
東海財務局長 1981年 - 1982年 |
次代 内海孚 |
先代 吉居時哉 |
大蔵省銀行局総務課長 1980年 - 1981年 |
次代 足立和基 |