加藤泰統
江戸時代中期の大名
加藤 泰統(かとう やすむね)は、江戸時代中期の大名。伊予国大洲藩4代藩主。官位は従五位下・出羽守。
加藤泰統像(如法寺蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄2年10月9日(1689年11月20日) |
死没 | 享保12年6月24日(1727年8月11日) |
改名 | 巳之助、泰統 |
別名 | 左門 |
戒名 | 顕徳院殿恵紹明大居士 |
墓所 | 愛媛県大洲市柚木の如法寺 |
官位 | 従五位下出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継、吉宗 |
藩 | 伊予大洲藩主 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 | 加藤泰恒 |
兄弟 |
泰統、泰都、泰広、板倉昌信正室、 徳大寺実憲室ら |
妻 | 中川久通娘厚岸院 |
子 | 泰温 |
略歴
編集元禄2年(1689年)10月9日、3代藩主・加藤泰恒の次男として大洲にて誕生。幼名は巳之助。左門。
正徳5年(1715年)、父の死去により跡を継いだ。しかし度重なる風水害で大洪水が起こり、さらに城下町の火災も相次ぐなどして藩政は多難に見舞われ、藩財政は窮乏化した。このため、税制改革や藩債の発行、御用銀の供出などを行なったが、あまり効果は無かった。
享保12年(1727年)6月24日に死去した。享年39。跡を長男の泰温が継いだ。法号は顕徳院殿恵紹明大居士。墓所は大洲市柚木の冨士山如法寺。