加藤 厚太郎(かとう こうたろう[1]1895年明治28年)1月11日[2] - 1959年昭和34年)2月3日[2])は、日本実業家伯爵

人物・経歴

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加藤高明春路夫妻の次男として東京府東京市(現・東京都)に生まれた[1][3][4]。当時、加藤家に居候して厚太郎に勉強を教えていた家庭教師は、後に東急の創業者となる五島慶太であった。1919年大正8年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[3][4]三菱財閥の持株会社・三菱合資会社に入社[1]イギリスに留学しオックスフォード大学で学び[3][4]、帰国後三菱系の都市銀行三菱銀行に入行[3][4]。その間1926年(大正15年)4月2日に伯爵位を襲爵している[2]。後に三菱系の損害保険会社・東明火災海上保険(現・日新火災海上保険[脚注 1])の取締役を務めた[1][3][4]

栄典

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位階
勲章等

家族・親族

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父・高明外交官政治家で第24代内閣総理大臣[1][2][3][4]。母・春路は三菱の創業者・岩崎弥太郎の長女[1][2]。つまり、厚太郎は岩崎弥太郎の外孫にあたる。姉と兄がいるが[1]、兄は早世[1]。姉は外交官・政治家で貴族院議員文部大臣などを歴任した岡部長景に嫁いだ[1][2]

妻は元宮内省大膳頭・上野季三郎の三女・冨美[脚注 2][1][3][4]。冨美との間に3男1女をもうける[2]。義兄に服部金太郎の長男で服部時計店の2代目社長を務めた服部玄三[脚注 3]、義弟に佐々木高行の孫で元神宮大宮司佐々木行忠團琢磨の長男で元九州朝日放送会長の團伊能がいる[脚注 4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日新火災は2016年平成28年)現在東京海上ホールディングスの傘下なので東京海上日動火災保険同様三菱グループの損害保険会社である。
  2. ^ 「冨美子」と表記されることもある[8]
  3. ^ 玄三の妻・英子は上野の次女である[8]
  4. ^ 行忠の妻・米子は上野の四女であり、伊能の妻・美智子は上野の五女である[8]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『池上彰と学ぶ日本の総理 22』、26頁。
  2. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』、430頁。
  3. ^ a b c d e f g 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、258頁。
  4. ^ a b c d e f g 『大正人名辞典 III 上巻』、カ - 5頁。
  5. ^ 『官報』第3769号「叙任及辞令」1925年3月18日。
  6. ^ 『官報』第5108号「叙任及辞令」1944年1月26日。
  7. ^ 『官報』第5390号「敍任及辞令」1945年1月6日。
  8. ^ a b c 『門閥』 449-451頁。

参考文献

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日本の爵位
先代
加藤高明
伯爵
加藤(高明)家第2代
1926年 - 1947年
次代
華族制度廃止