三菱銀行

かつて存在した日本の都市銀行

株式会社三菱銀行(みつびしぎんこう、英語: The Mitsubishi Bank, Ltd.)は、かつて存在した三菱グループ都市銀行。現在の三菱UFJ銀行の法人格上の前身である。

株式会社三菱銀行
The Mitsubishi Bank, Ltd.[1]
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
100
東京都千代田区丸の内二丁目7番1号
北緯35度40分42.6秒 東経139度45分51.2秒 / 北緯35.678500度 東経139.764222度 / 35.678500; 139.764222座標: 北緯35度40分42.6秒 東経139度45分51.2秒 / 北緯35.678500度 東経139.764222度 / 35.678500; 139.764222
設立 1919年大正8年)8月15日[2]
業種 銀行業
金融機関コード 0005
事業内容 普通銀行業務
関係する人物 岩崎小弥太(初代会長)
串田万蔵(第2代会長)
長田博孝(取締役)
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概要

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1880年に郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から分離独立した三菱為換店が始まり。この三菱為換店は一度閉鎖されるが、間もなく第百十九国立銀行の経営を承継。その後幾多の変遷を経て、1919年株式会社三菱銀行が設立された。

戦前は三菱財閥をバックに店舗数よりも取引高の方が遙かに大きかったが、戦時統合で主に東京地区の店舗を拡充。1943年第百銀行を吸収合併したことで名実共に大銀行となった。

戦後の財閥解体に伴い、1948年千代田銀行へ改名するが、1953年に三菱銀行へ戻し、三菱重工業三菱商事とともに再結集した三菱グループの中核企業、都市銀行上位行として発展してきた。

行風は官僚主義的で機動力に欠けるという評価がされることが多い。バブル景気の時期にはそれが幸いして他の銀行の様な無理な融資合戦に参入するのが遅かったため、バブル崩壊後の不良債権が少なく済んだといわれている。ただし、バブル時代の経営姿勢に何も問題が無かったわけではなく、下記の様な変額保険問題を起こしている。また、当時の銀行界では珍しく大蔵省の「天下り」役員を受け入れていなかった。

1996年4月1日東京銀行と合併して東京三菱銀行となり、さらに2006年1月1日にはUFJ銀行と合併して「三菱東京UFJ銀行」となった後、三菱UFJ銀行に行名を変更した。

沿革

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銀行合併の沿革

(1996年以降については東京三菱銀行三菱UFJ銀行のページを参照されたい。)

変額保険事件

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三菱銀行は、バブルからその後にかけて大きく社会的問題となった変額保険を大々的に進めた中心銀行である。当時の取締役三木繁光が、この提案融資の旗振り役であった[4]。変額保険は、地価が異常な値上がりを示した時代情勢につけ込んで拡大したもので、ハイリスク・ハイリターンな投資商品であった。変額保険に加入した結果、土地を失ったり、自殺を迫られる高齢者が多数発生し、金融機関の商品説明責任を問う損害賠償訴訟が相次いで起こされた。

この訴訟において三菱銀行の被害者は226名に上り、全金融機関で最悪の人数である。銀行としては2番目に多い横浜銀行の44人の5倍強、都市銀行の中では富士銀行の38人の6倍近くと群を抜いている[5]

この背景には、もとは米国で開発された変額保険をアリコジャパンの元社員が三菱銀行に提案した経緯がある。邦銀で最初にこの商品を知った三菱銀行は、同じく三菱グループの明治生命(現在の明治安田生命保険)と一体となり、販売を押し進めた[6]。事実、明治生命による被害者数は三菱銀行とほぼ同じ224名であり、生保会社では2番目に被害者の多かった生保最大手の日本生命の104人の2倍以上である。

2002年4月23日には東京高等裁判所において、三菱銀行の後身にあたる東京三菱銀行と大同生命らを相手取る訴訟で、7000万円の損害賠償命令が下された。

フジテレビドラマ「ビッグマネー!」における「相続保険」問題の描写は、この三菱銀行がモデルとされる。

イメージキャラクター

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三菱銀行は、1961年11月から、他行に先駆けて「ブーチャン貯金箱」の配布を開始した。これは、以前はマッチカレンダーなどに限られていた、金融機関が配布できる景品に、1954年に「貯金箱」が新たに加えられたのを受けたものである。

この「ブーチャン」とは、当時NHK総合で放送されていた人気テレビ番組「ブーフーウー」からヒントを得た子ブタのキャラクター。1年間で150万個が配布され、人気となった。その後、ブーチャンは三菱銀行の親しみやすさを象徴するキャラクターとして、ポスターやチラシなどに採用された。

1962年8月20日、普通預金と積立預金の2種類の通帳で、ブーチャンのイラストを使用した「絵入り通帳」の取り扱いを開始した。これは現在、全国の銀行のほとんどで取り扱われている「デザイン通帳」の先駆けとなった。

また、その年の12月1日には、三菱グループの三菱地所東映と協力して行っていた、日本へのディズニーランド誘致に呼応する形で[7]、ディズニー・プロダクションズ(当時)と版権契約を結び、ディズニーキャラクターを使用した「絵入り通帳」の取り扱いを開始した。日本へのディズニーランド誘致は、結局三菱地所と競合していた三井不動産京成電鉄の合弁会社(後のオリエンタルランド)が権益を獲得したものの[7]、ブーチャンと同様に、ディズニーキャラクターは、三菱銀行の親しみやすさを示す象徴となった。なお、当時は、普通預金と積立預金の2種類の通帳が用意され、普通預金には「ディズニー預金」という名前が付けられた。また、キャラクターは、ドナルドダックバンビシンデレラピノキオなどが採用された。また、1963年1月からは、「ディズニー貯金箱シリーズ」が始まり、第1号である「ドナルドダック」の貯金箱が配布された。ちなみに、富士銀行も同時期に採用を図ろうとしたが、ディズニー社側の承諾を得られず断念している。

また、1988年から一時期、ハローキティのイラストが描かれたデザイン通帳を取り扱っていたこともあったが、ひっそりと姿を消している。ハローキティそのものは1998年から、第一勧業銀行がイメージキャラクターとして採用、2002年にみずほ銀行になった後も継続して起用されている。

ディズニーキャラクターのマスコット採用から30周年を迎えた1992年、ノベルティとしてディズニーのキャラクターが描かれた色鉛筆が提供された。奇しくも、資本関係は無いものの同じスリーダイヤをシンボルマークとする三菱鉛筆が製品化に関わっている。

バードマーク

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合併から20年経過する2016年3月現在も残る本店の入口に残るバードマーク(店内側より撮影したため実際は左右逆)

行章は三菱グループ共通の赤いスリーダイヤであったが、1982年以降、店舗の壁面やキャッシュカードには鳥のマーク(バードマーク)[8]がスリーダイヤとともに付けられた。なお、東京銀行との合併後も、建設時に三菱銀行として建設された一部の店舗では、バードマークが残されているものも多かったが、2006年のUFJ銀行との合併時に、残存していたバードマークのほとんどが撤去された。ただし、本店のリテール営業部門の営業室・ATMコーナーの自動ドアなど、一部の店舗や三菱銀行時代から建物を継続使用している一部の店舗では、現在もバードマークが残っている店もある。

出身者

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脚注

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関連項目

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