前野自敏
前野 自敏(まえの よりとし)は、江戸時代後期ごろの武士・阿波徳島藩の上士[1]。通称・健太郎[1]。蜂須賀家の重臣として仕えた[1]。阿波前野氏自香系六代目当主。
時代 | 江戸時代後期〜(明治時代初期?) |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 健太郎→其楽(隠居号) |
別名 | 通称:健太郎 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 蜂須賀斉昌→蜂須賀斉裕→(蜂須賀茂韶?) |
藩 | 阿波徳島藩上士 |
氏族 |
良岑氏流椋橋氏系立木田氏族前野氏 (阿波前野氏自香系) |
父母 | 父:前野自温、母:福屋為義妹 |
兄弟 | 岩田茂之室、女(早世)、福屋兼美室 |
妻 | 中内三興妹 |
子 | 前野自興、前野庸範 |
人物
編集自敏は江戸時代後期ごろ(18世紀終わりもしくは19世紀初め)に阿波徳島藩士前野郡平(辰三郎)自温の長男として生まれる[2]。阿波徳島藩の上士(上級藩士)[1]。奥小姓役を務め、250石を治めた。健太郎は通称で、諱は自敏である。新撰組の伍長である前野五郎の父[1]。前野五郎は本名を前野庸範という。この前野五郎についての記録に本姓は藤原とあるが、自敏・庸範の家紋「丸に違い鷹の羽」を使用した前野氏は良岑氏流前野氏である。
氏族
編集本姓は藤原か良岑か
編集徳島藩士の系図が書かれた成立書によれば前野自敏の本姓は藤原であり、江戸時代初期頃から阿波徳島藩に仕えた前野自有の二男自香の子孫とされている[2]。先祖は加賀国守護の富樫家の出で、富樫頼定の孫(もしくは次男)が前野左近将監自唯を称したことに始まるとされる[2]が、前野自有は良岑氏流前野氏の末裔で、祖父の前野宗高が前野為定の養子となり家を継いだため、血縁上は良岑氏流前野氏の出身である。
前野氏
編集前野氏(良岑氏流前野氏)は、桓武天皇皇子の良岑安世を始祖とする良岑氏の系統で、良岑高成(原高成)の子である前野高長もしくはその曽孫である前野時綱が尾張国丹羽郡前野村(現在の愛知県江南市前野町〜大口町辺り)に移り住んで前野を名乗ったのが始まりとされている[3][4]。前野自敏の血縁上の祖先は良岑氏流前野氏であるが、家系上の初代が前野為定であるため本姓は良岑ではなく藤原と表記される。
系譜
編集脚注
編集出典
編集前野氏歴代当主
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