前橋東照宮
群馬県前橋市にある神社
前橋東照宮(まえばしとうしょうぐう)は、群馬県前橋市に鎮座する神社である。正式名称は「東照宮」。
前橋東照宮 | |
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所在地 | 群馬県前橋市大手町3-13-19 |
位置 | 北緯36度23分40秒 東経139度3分43秒 / 北緯36.39444度 東経139.06194度座標: 北緯36度23分40秒 東経139度3分43秒 / 北緯36.39444度 東経139.06194度 |
主祭神 | 徳川家康(東照大権現) |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 寛永元年(1624年) |
本殿の様式 | 入母屋造瓦葺 |
例祭 | 4月17日 |
祭神
編集歴史
編集寛永元年(1624年)、結城秀康の五男である松平直基(結城松平家、松平大和守家)により、最初の領地であった越前勝山 で創建された。同家は「引っ越し大名」と呼ばれたほどに代々転封が相次いだが、それにあわせて同社も移転を続けた。寛延2年(1749年)、松平朝矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767年)川越城へ移転した(川越藩)。東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものである。以後は代官に前橋を治めさせていたが、慶応3年(1867年)、松平直克が念願の前橋復帰を果たした。東照宮も社殿を解体して前橋に移転をはかったが、幕末の混乱により再建は明治4年(1871年)となった。
江戸時代初期の前橋藩主酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏時代から長く崇敬されていた。これを明治4年に合祀したものである。また、明治31年(1898年)には長壁神社も合祀された。
長壁姫伝説
編集元姫路藩主でもあった松平朝矩は、姫路城天守閣で長壁姫を祀る長壁神社を奉遷し、前橋城の守護神とすべく城内未申の方角(裏鬼門)に建立した。水害で川越城への移転が決まったところ、朝矩の夢枕に長壁姫が現れ、川越へ神社も移転するように願ったという。しかし朝矩は、水害から城を守れなかったと長壁姫を詰問し、長壁神社をそのままに川越城へ移った。その直後に朝矩が若死にしたのは長壁姫の祟りといわれる。
文化財
編集前橋市指定文化財
- 前橋藩主松平家能装束・陣羽織・軍配
主な行事
編集- 例祭 - 4月17日(家康の命日)
- 月次祭 - 毎月17日
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 前橋東照宮(神社公式)