円教坊(えんきょうぼう)は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の寺院。正式には「圓敎坊」と表記する。

円教坊
深澤山圓敎坊
深澤山圓敎坊
所在地 山梨県南巨摩郡身延町下山6955番地
山号 深澤山 (しんたくざん)
宗旨 日蓮宗
寺格 平僧寺跡
本尊 三宝尊
創建年 宝永3年(1706年)
開山 圓敎坊日眞
中興年 明治40年(1907年)8月
中興 良縁院日顯(野々村是快)
正式名 深澤山圓敎坊
札所等 日蓮聖人姥清水之霊場
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本堂
祖師堂
祖師堂全景
姥清水

概要

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山号は深澤山。西谷鏡師法縁に属する。[1]本寺総本山身延山久遠寺、旧寺格は平僧寺跡。

歴史

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文永11年(1274年)5月17日、南部実長の招きに応じた日蓮が身延に到着した。日蓮は身延山中の西谷に草庵が完成するまでの約1ヶ月間を甲斐国の布教に専念したが、身延山の北東にあたる杉山集落を訪れた際に一軒の農家で水を求めた。農家の老女が谷下まで水を汲んできたのを見た日蓮がその不便さを哀れに感じ、持っていた杉の杖で地面を掘ると清水が湧き出たという。それ以来この清水は「姥清水」と呼ばれ、裏身延の参道を登る人々に尊重されたと伝えられている。宝永3年(1706年)に圓敎坊日眞が姥清水の霊場に堂宇を建立し「深澤山圓敎坊」を開いた。日蓮聖人姥清水之霊場として隆盛を誇ったが、明治時代には堂宇の老朽が顕著になった。身延山大光坊23世・顯妙院日修(望月是快)の弟子で身延山久遠寺78世・智等院日良(豊永日良)の門人に迎えられた良縁院日顯(野々村是快)が25世として入山すると、布教伝道の伴侶であった鈴野寳光(後の寳光院神通日佛法尼)と共に教線を拡大。明治40年(1907年)8月頃までには総額2600円を掛けて本堂及び祖師堂を全面新築し、日朗及び姥清霊神の尊像や前机及び五具足等の仏具も整えられた。この功績により明治43年(1910年)12月13日付で時の日蓮宗管長(大本山本圀寺48世)の旭日苗より賞状が下賜され、中興を冠される事となった。日顯の退山後も歴代住持により護持され今日に至っている。

伽藍・境内

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本堂
祖師堂
庫裡・客殿

歴代住持

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歴代 法号
(俗姓・道号)
命日(享年[数え年]) 経歴
開山 圓敎坊日眞
2世 春可
3世 惠性
4世 義長
5世 本立
6世 圓立
7世 本林
8世 了光
9世 日達
10世 定運
11世 日勝
12世 光運
13世 日滝
14世 泉玅院日光 天明6年(1786年)11月24日
15世 豊善院日保 寛政12年(1800年)8月12日(68歳) 西谷檀林 身延山善学院(山梨県南巨摩郡身延町) 玄講
延壽山妙浄寺(山梨県南巨摩郡南部町) 24世
16世 日英
17世 日徳
18世 日恕
19世 日東
20世 日要
21世 日等
22世 日勇
23世 日滿
24世 日現
中興
25世
良縁院日顯[2]
(野々村是快)
昭和14年(1939年)12月9日(67歳) 寶光山本立寺(神奈川県藤沢市辻堂神台) 開山
源悟山顕正寺(神奈川県相模原市南区) 2世
奴多山十萬部寺(山梨県南巨摩郡早川町) 中興26世
念濟山壽閑寺(神奈川県海老名市本郷) 中興歴世
心實結社(神奈川県横浜市磯子区) 中興開創
千住寳光教会(東京都足立区梅田) 開創
寳光一心教会(群馬県桐生市) 開創
寶光山裾野別院(静岡県裾野市) 開創
寶光山大和布教所(神奈川県大和市) 開創
寳光一心教会(神奈川県平塚市立野町) 開創
妙力堂(山梨県南巨摩郡身延町) 開創
26世 日壽
27世 日孝
歴世 (井上竜温)
歴世 (圓山文堯) 真光山経王寺(新潟県村上市寺町) 43世
歴世 智積院日寛
(秋山智雄)
令和5年(2023年)9月25日(満71歳) 宗門史跡 長栄山本国寺(山梨県南巨摩郡身延町) 56世
遠藤山宗光寺(山梨県南巨摩郡身延町) 歴世
正運坊(山梨県南巨摩郡身延町) 歴世
歴世 (秋山経生) 宗門史跡 長栄山本国寺(山梨県南巨摩郡身延町) 57世
遠藤山宗光寺(山梨県南巨摩郡身延町) 歴世

交通

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近隣施設

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脚註

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  1. ^ 法類・法縁とは、同じ宗旨・宗派に属し密接な関係を持つ僧侶並びに寺院のこと。
  2. ^ 円教坊退山後に智等院日良より「佛眼院」の院号を下賜される。

参考文献

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  • 『身延町誌』/身延町誌編集委員会/身延町/昭和45年(1970年)
  • 『日蓮宗事典』/日蓮宗事典刊行委員会/日蓮宗宗務院/昭和56年(1981年)
  • 宗祖第七百遠忌記念出版『日蓮宗寺院大鑑』/日蓮宗寺院大鑑編集委員会/大本山池上本門寺/昭和56年(1981年)

関連項目

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外部リンク

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